大塚ムネトの超不定期日記(2005年12月) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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これまた恒例の太宰府天満宮へお参り。今年は運良く「大祓式」の最中だった。この大祓式というのは、6月と12月にある行事で、それまでの半年間をお祓いし、気持ちを新たにするという、「新年を迎える前にぴったり」のありがたい行事。さらにありがたいのは、祈祷料を払っていない、ただの通りすがりでも快く式に参加させてくれること。せっかくなので、ボクも沢山の人に混じって参加する。 式はお祓いから始まり、途中、宮司さんから渡された人形(紙を人の形に切ったもの「ひとがた」と読む)に息を吹きかけて「自分の身代わり」とし、その人形を燃やして終了。参加者には、新年の料理用に「天神さまにお供えしていたお米と塩」が少しずつ配られる。 タイミングよく式に参加出来たので、何とも得した気分。「新たな気分で頑張るぞ!」と自分に言い聞かせて、年忘れ脚本大会へ。 |
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去年に続き、今年も今日から泊まりで温泉へ。同じ旅館に泊まり、「ただひたすらのんびり露天風呂に入る」と言う目的も一緒。こういう恒例なら大歓迎だ。明日からは、これまた恒例の「年忘れ脚本大会」が始まるし・・・。 その前に、この一年をゆっくり温泉につかりながら振り返るのだ。 今年は部屋にも専用の露天風呂がついていたので、本当に温泉に入りっぱなしだった。ただひたすら「食う、寝る、入浴」だけの一日。 ああ幸せ・・・。 |
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始発で北九から戻り爆睡。そりゃ、夜7時から朝6時まで騒ぎ続けだったからヘトヘトになるよなぁ。でも、実に楽しい飲み会だった。作家同士で想いを打ち明けあったりもしてなんかエネルギーももらったし・・・おっと、これ以上は書けない。参加したボクらだけの秘密)。 今日は昼過ぎには起きて脚本作業の続き。 ここ数日、世間は流通激変のニュースで持ちきり。まあ、4月の第一弾に関しては、まずは「福岡にスーパーたちが誕生するまでの物語」にする予定なのでそれほど影響はないが、第二弾以降の「スーパー達の戦い」には、せっかく事実が劇的に動いているんだから、ぜひ反映させたいと思っている。 |
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今日は、演劇人サミット出席者の忘年会。サミットが終わったあとにも飲み会はあったが、交流会ということで参加者が多く、パネリスト同士であまり話が出来なかった。で、のこされ劇場の市原君に「パネリストで忘年会をしよう」と声をかけたのだ。 北九州に良い場所があるからと言うことで、市原君が幹事となって準備をしてくれたが、彼は会場の手配だけでなく、なんと前日から会場となった屋敷に泊まって料理の準備までしてくれていた(宴会が始まった時、彼から「やり遂げた感」が伝わってきたので相当頑張ってくれたんだと思う)。そこまで準備してくれた宴会となれば、なんとしても盛り上げないとね。だって、忘年会を言い出した張本人はボクだし。もう率先して大騒ぎをする。 福岡から参加したのは、大塚、山田(GIGA)、川口(ガラパ)、田坂(非・売れ線)、のこされ劇場メンバーの酒瀬川。北九は市原、のこされ劇場女優陣、泊(飛ぶ劇場)。 おでんを食べながらの赤裸々トークは、「これこそ演劇人サミットだよなぁ」と思うぐらい濃くて面白かったよ。結局朝まで一晩中大騒ぎ。 これ定期的にやろうよ。 |
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堀さんから電話が入っていたので折り返したら、「お、やっと連絡がついたよ!」と驚かれる。いわれてみれば、直接話すのは久しぶりだった。朝と夜が逆転しているので留守電が多かったし(ちゃんと重要な件についてはメールで連絡しているので心配なく)。そうか・・・ちょっと世間から離れていたかも。 「どうせおなかは減るだろうし、夕メシを一緒に食べようよ。」との誘いを受けて、久々にかりん塔へ。ここはピクニックの事務所からも近いのでちょうど良いのだ。ちょっと早めにいって大将と話していたら、事務所の女の子達を連れて堀さんがやってきた。で、急きょ忘年会と言うことに。 ボクがこもって書いているのを知っている堀さんが気遣ってくれたのだ。 さらに途中で石川さんも駆けつけてくれた。石川さんは、「せっかく大塚さんが天の岩戸から出てきたんだから顔を出さないとね・・」と笑顔。 こうして「相手のことを思いやれる大人なプロデューサー」が2人もいてくれて本当に幸せだ。 |
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セブン&アイ・ホールディングス(セブンイレブンとイトーヨーカ堂)とミレニアムリテイリング(西武百貨店とそごう)が経営統合を発表。コンビニ・スーパー・百貨店が一つになって流通再編が起きようとしているのだ!セブンがミレニアムを買収するので、「コンビニが百貨店を飲み込む下克上か?」なんて記事を載せてる新聞もある。 なぜ下克上かといえば、流通の形態としては一番新しいコンビニが老舗の百貨店を買収するから。まあ、セブンイレブンの場合は、親会社だったイトーヨーカ堂よりも力を持っているから2度目の下克上ということか・・・それとも、親と一緒に強くなるんだから、この場合は親孝行で良いのかな。 この統合により誕生した会社が、新たに「小売り業、売り上げ日本一」となる。これは面白いことになった。 優秀とはいえ、スーパーもひところのような勢いはなくなっている。百貨店だってそう。一番稼ぎ頭のコンビニも今や飽和状態となって「新たなスタイル」が求められている。さて、この統合で、どんなスタイルの店が誕生するだろうか?さらには、この統合で一位の座を奪われたイオングループも黙っていないはず。 産業再生機構で再建を目指すダイエーがキーマンになりそう。ああ・・・目が離せない。 |
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夜中に家を出て散歩していたら、いつもは真っ暗な通りで、明かりがついている店を発見。そこは手作りケーキの店で、ガラス張りの店内では、コック服姿の人たちが必死にケーキを作っているところだった。イチゴをのせたり、クリームを塗ったりと、10人ぐらいが一心不乱にケーキを作っている。 しばらくその様子を眺めながら、「クリスマス前に大変なのはボクだけじゃないんだなぁ」と、しみじみ思った。なんだか励まされたよ。 |
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ハムの詰め合わせをもらったので、久しぶりに料理に凝っている。ベーコンはタマネギ・セロリ・コンソメと一緒にスープに、ハムは薄切りにしてタマネギと一緒にイタリアンドレッシングに浸し、一晩冷蔵庫で寝かして「なんちゃってマリネ」に。 タマネギ好きのボクとしてはバリエーションが増えて大喜び。なかなかおいしいよ。 |
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新日鉄の子会社である北九州のスーパー「スピナ」の買収が発表された。北九州で弱い西鉄ストアーの状況を打破すべく、親会社の西鉄が買収に踏み切るとのこと。 このスピナって、実は「日本のスーパーマーケット史」で重要な役割を果たしていた店だったりする。 元々スピナは、新日鉄(当時は八幡製鉄)が従業員のために作った共同購買部からスタートした。当時はまだスーパーマーケットはなく、この購買部が1956年2月に導入した「セルフサービス方式」(今でいうスーパーマーケットのような形態)は画期的で、日本中から見学者が来たらしい。で、この購買部のセルフ化から1ヶ月後の3月10日、日本で最初のスーパーといわれている「丸和フードセンター」が、小倉に誕生する。 全てはこの購買部(スピナ)からはじまったのだ! 当時の面白い話はまだまだたくさんあるが、それは4月に上演する「スーパーマーケット三国志」でのお楽しみということで。 |
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レディーボーデンアイスクリームの超特大サイズ(1500ml)を買う。タテヨコ16センチ、深さ7センチで、手に持つとズシリと重たい。で、このでっかいヤツを手に抱えてスプーンで直接食べる。まるでアメリカ映画に出てくる食いしん坊のよう。 「空想の旅はアイスと共に」ってわけ。これは太りそうだなぁ・・・。 |
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アクティブハカタが運営する児童劇団ぽっとぽっけの「ぺったりゆうれい」を観に大博多ホールへ。児童劇をちゃんと観るのは初めてかもしれない。終わったあとは演出を担当した伊集院さんと食事。作品について色々話した。 いくつかの場面について、もしボクならどうするか聞かれたので、思いつくままにアイデアを出す。話しているうちにちょっと児童劇に挑戦してみたくなった。 |
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福岡女学院に「三代目、りちゃあど」を観に行く。初めての会場で行くのに苦労しながら何とか学校に到着。ホッとしていたら、ここからが大変だった。正門の守衛さんに道を聞いて進むも、真っ暗ですぐに迷ってしまったのだ。寒いし、そのうち雪は降ってくるし・・・誰もいない真っ暗な学内で、すっかり遭難した気分。途方に暮れているうちについには開演時間も過ぎてしまった。「これは縁がないのかな?もう帰ろう・・・」と、諦めたが、今度は帰り道がわからない。途方に暮れてとぼとぼ歩き回っていたら、偶然にも公演案内の看板を発見。その案内を頼りにようやく会場へ。 ごめん、偶然に助けられなかったら諦めて帰るところだったよ。 で、ここからが中身の話。よく戯曲を立体的に演出しているなぁと感心。面白い場面や「お、やるなぁ」と思う工夫も多数。欲を言えば、もっと役者が「声を振り絞り、衣装が汗だくになるぐらい動く姿」を観たかったかな。 昔、夢の遊眠社の役者さんと一緒に芝居をした時、その役者さんは舞台の激しさを振り返って「きっと、演じていて首の血管が切れてたと思うよ」なんて表現していた。実際に切れたら大変だけど、それぐらい激しかったってことだよね。 |
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市役所7階のオリンピック準備室へ。今後の広報活動で力を貸して欲しいと頼まれたのだ。何が出来るかわからないが、とりあえず話を聞くことに。もしかしたらイベントでミニライブとかをやることになるかも。ただ、新作前で全然予定が見えないので、当分は無理かな。 しかし「福岡でオリンピックを!」ってのには驚いたよね。いい機会なので、担当の方に色々話を聞く。オリンピックの開催はまだまだ先だが、国内の候補地は来年決まるので、すでに戦いは始まっているとのことだった。今、名乗りを上げているライバルは東京。あと某市も立候補するとの噂があるが、こっちは断念するのではとの予想。 さて、どうなることやら? |
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今日は4月に向けて第一回ミーティング。キャスト(特に女優陣)から、三国志ということで「男性が中心の話では?」との心配が出ているので、ホワイトボードを使ってキャラクター相関図も交えながら説明。主な舞台、エピソード、登場人物など、まだまだ長い物語なので全部は話しきれなかったが、「ちゃんと、女性キャラも活躍するよ」と言うことは伝えられたと思う。 さらに、「脚本作業が進んでいることをわかってもらうため」に、出だしのパートもコピーして全員に配る。もちろん、そのまま本番OKの完成度の高いヤツ。 このことをある作家に話したら、「脚本を書く時に、そこまで役者に気を使うのか?」と驚かれた。うーん・・・きっとボクが役者出身だからだろうなぁ。 |
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昼から百道の総合図書館へ。恥ずかしながら、学生の頃は一度も図書館に来たことなんかない。それが今では通う日々。「必要に迫られると人は変わるんだなぁ」と我ながら思う。 今日は、流通に関する郷土史料、新聞のスクラップ、雑誌のバックナンバーなど、見逃している資料がないかの再確認。驚くほど資料が少ないので、ほんの小さな記事でも見逃せないのだ。で、粘った甲斐あっていい資料を見つける。新たな発見も多数。これは早速関係者に追加取材しないと・・・。 いかん!またエピソードが増えてしまう。ああ、でも面白い話だし・・・。「スーパーマーケット三国志」は壮大な物語になりそうだ。 閉館時間まで粘って、帰りがけジャンジャンによって晩ご飯。一日脳みそフル回転だったので、うまいものを食べてエネルギー補給しないと。 |
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ハタから見るときっと気持ち悪いぐらいボンヤリしているようにしか見えない「発想の旅」。食事中だろうが、ふとひらめいたら、そのまま旅立ってしまう。 そんな日々が続く。 |
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全体のストーリー構成は出来ている。と言うか、今のままでは全て上演すると5、6時間になってしまうんじゃないかというぐらい「物語がありすぎ」の状態。ああ・・・僕の場合、書くのは辛くないし、やりたい話もたくさんある。問題は「短くする作業」なんだよねぇ・・・。これでいつも苦労する。 「風呂敷を広げる作業」が一番楽しいかな。 次々に思いつくストーリーに自分でワクワクするし。ひらめくままに物語の流れに身を任せて、「たどり着くまでは見えないけど、いざ着いてみたら、そうなるしかなかったラスト」に到達出来た時の喜びと言ったら・・・。 発想の旅は楽しい。取材もそうだけど、旅はいいね。悪い癖だけど、「まとめる作業」はもうちょっと後にしようっと・・・。 |
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午前中でギンギラ新聞と九州アイズの校正をすませて、午後から取材へ。取材で出かけるのは本当に楽しい。それまで資料を読んだり脚本を書いていたりと、「部屋にこもる日」が続いていたのでなおさら。それに電車で移動してる時って、いいアイデアを思いつくんだよねぇ。 きっと「これから出会うだろうワクワク感」が、いい刺激になるんだと思う。さらに実際に取材で「そのモノを見たり、関係者に会う」と、作品世界が一気に広がるし。 取材の旅は楽しい。 |
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「税込み500円で売ってるDVD」を発見して驚く。これ中古の値段じゃないよ。新品が、つまり定価が500円!版権が切れた古い映画とかなのだろうか?作品は、「カサブランカ」「雨に唄えば」など有名な作品がそろっている。試しに「市民ケーン」と「三人の名付親」を買ってみた。 「お得ないい買い物をしたなぁ」と喜んでいたが、ケーブルガイドで「三人の名付親」が放送されることを知り微妙な気分。これなら自分で録画してDVD化すればよかったかな・・・「自分で焼く手間+ケース代+録画DVD代」をいくらと思うかだなぁ。 |
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来年のラストフライトを前に塗装をやり直したYS−11の記事が新聞各紙に出ていた。写真には、胴体に大きく「ありがとう日本の翼 YS−11」と書かれたYS−11の姿が。 現在飛行しているのは4機。ついこの間まで7機飛んでいたはずなのに、いつのまにか3機も減っていて寂しい。来年12月末までには完全引退が決まっているとのこと。 4月からは毎月11日を「YS−11の日」としてイベントをするそうなので、自分の誕生日の4月11日にぜひ乗りたいと思っている。・・・あ、でも、新作の進行次第では無理かなぁ。 |
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昼から九州アイズの取材を受ける。倉庫でかぶりモノを撮影して、ピクニック事務所へ移動して百貨店についてのコメント。取材の後はそのまま事務所でボク、堀さん、石川さんの3人で4月の予算会議など。 夕方からは堀さんと立川志の輔さんの独演会「志の輔らくご」を観にメルパルクへ。志の輔さんはパルコ公演を観てくれて、わざわざ楽屋に挨拶まで来てくれた方なので今度はこっちの番。ちゃんと落語を拝見させてもらって終わった後は楽屋へ挨拶。せっかくだからと言うことで中州に移動して飲みながら色々話す。今日の落語の解説や、表現方法としての落語と芝居の差など、面白い話ばかりだった。 夜中は一人「かりん塔」へ。7日はあいつの命日。以前、かりん塔の大将にあいつの話をしたら、「人は必ず死ぬから必死になるんだよ」との言葉をもらった。これにはグッと来た。だから今日も大将と話してあいつのことを想うことにしたのだ。まあ、去年の今日の日記に書いているように「公演のたびに話しかけている」けど、やはり今日は特別。 なあ、相変わらずしくじることも多いけど、こっちは何とか頑張ってるよ。 |
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2時過ぎに西鉄ホールへ。会場ではすでに「西鉄の安全決起集会」がはじまっていた。ボクの講演は午後3時から。管理職400人の前で90分喋ることになっている。マネージャー代わりについてくれた堀さんと4月公演の打ち合わせをしつつ時間まで過ごす。で、3時からいよいよボクの出番。馴染みのホールだけど「公演ではなくて講演」なので、いつもと勝手が違う。一番前にズラリと並ぶトップを見たら、出だしはちょっと緊張してしまった。 講演のタイトルは「逆境からはじまったギンギラ太陽’s」。ギンギラで乗り越えてきた出来事、一度解散しかけたこと、災害で2度も公演が中止になったことなどを、ビジネスにたとえつつ話す。ちょうど半分ぐらい喋ったところで客席に降りたりと、変化をつけつつ90分喋ったよ。 |
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朝型生活がスタート。朝から原稿も書きいい感じ。うん、やれば出来るじゃないか・・・。絶好調で仕事を片付けていく。で、最後にメールチェックをしていて「やらかしていた」ことに気づく。パルコでお世話になった広報の大場さんからのメールを見逃していたのだ!メールには「演劇ブックに載せる原稿を確認して欲しい」とある。しかも締め切りは先週の日付。 「ぎゃー!やってしまった!」泣きそうになりながら速攻で大場さんに電話。メールを見逃していたことや、脚本で昼夜逆転してたことを言い訳してひたすら謝る。大場さんは「きっとそんなことだろうと思って、こっちで処理しておきましたから大丈夫ですよ。」と笑って許してくれた。ホッとするやら申し訳ないやら・・・さすが大場さんだ。 夕方からは西鉄本社で明日の講演会の打ち合わせ。夜は明日話す内容の確認作業。メールはしくじってしまったけど、それ以外は、朝から夜までしっかり仕事をしたよ。 |
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逆転しているので、電話にも全然出れないし、メールの返事も遅れている。明日月曜からは何としても「朝型」になって、きちんと電話にも出て、メールの返事も書かなければ。 しかし、いくら脚本作業を優先するためとは言え、先週は生活が乱れすぎていた。今週は講演会(西鉄の安全決起集会で、約90分の講演を頼まれているのだ)もあるし、明日からは何としても朝型にしないと。 |
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昨日締め切りの原稿(ごめんなさい!)を朝まで書いて仕上げる。ホッとして何気なくCSをつけたら、早朝から「ある日どこかで」を放送していた。この映画は、今は亡きクリストファー・リーブ(スーパーマン役でお馴染みの人)が主演で、リーブ演じる現代の劇作家が過去にタイムスリップして、当時の女優と恋に落ちると言うSFファンタジー。2人の恋は時間に引き裂かれ、悲劇的な最後を迎える。このラストシーンは何度みても泣けてしまう。今日も朝から大泣きしてしまい、見終わった後は、もう1日が終わったような切ない気分になってしまった。 あーもう・・・徹夜で疲れてるし今日は寝よう。 いかん、すっかり朝と夜が逆転している。でも、脚本モードだから仕方がないかぁ・・・。 |
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ここ数日、前回と今回の主役にビックリするニュースが続いている。まずは前回主役のスカイマーク。何とエンジンから出火して空港に引き返したとのこと。けが人がないとのことで本当によかった。今日は欠航となったが、安全確保を優先してしっかり点検して欲しい。 今回主役のダイエーも「マークとキャッチコピーの変更」と言うニュースがあった。「上弦の月」をイメージしたお馴染みのマークが消えるのは何とも寂しい。ちなみにマークの意味は、これから満ちていく上弦の月=これから完成していく「完成一歩手前」ということで、「いつまでも成長していくのだ!」という決意の表れとのこと。コピーも大量消費を表す言葉から、「ごはんがおいしくなるスーパー」と言う言葉に変わる。 果たして新生ダイエーは受け入れられるんだろうか? |
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4月公演に向けて、日々資料を読んだり取材に出かけたりしているが、寿屋とユニードの資料が少ないのには驚いている。どちらも九州を代表したスーパーなのに、勝負に負けて消えていった店だから仕方がないんだろうか・・・。そりゃあ競争には負けたけれど、時代の中でちゃんと役割を担っていたはずなのに。 ボクが住んでいた小郡には、大きなスーパーは「えじまや」しかなかった。小学生の頃、寿屋と提携して大きなお店(3階建てぐらいだったと記憶している)を作った時にはワクワクしたのを覚えている。当時はデパートとスーパーの違いなんてわからなかったので、平屋建てじゃないというだけで、「小郡にデパートが出来たー!」なんて喜んでいたなぁ。 ボクの街では寿屋がワクワクを提供してくれていたのだ。 |