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大塚ムネトの超不定期日記(2005年11月)
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2005年11月28日 筑紫車両基地へ

600形電車に会いに筑紫車両基地へ。まずは長年整備を担当している方に取材。その方の話では、「600形電車は、当時としては画期的な電子制御の電車で、冷房を初めてつけたのもこの電車だった」とのこと。高度経済成長で一気に増えたお客様を運ぶために、本当に頑張って走った電車なんだって。

まだまだ十分役に立つそうだけど、今は朝夕のラッシュ時に手伝いとして走るぐらいで、1日のほとんどを基地で過ごしているらしい。車両基地の奥で休んでいる姿を見つけた時はちょっと切なくなってしまったよ・・・。でも、嬉しい話も聞くことが出来た。600形は通勤電車としては引退が決まったが、事故の時に電車を助けに行く「救援車」として2両が残るとのこと。

「電車を見守る長老」としてこれからも活躍することを聞いてホッとした。

2005年11月27日 相変わらず

切ない場面を書いては、自分で泣いている。今日書いた場面は、「自分を作った主人(メーカー)を信じている製品キャラが、主人に裏切られたことを知る場面」。ギンギラの場合、事実をベースにしているので、「そのモノ達がたどった生き様」に泣けてしまうのだ。

作品を観てお客様が笑ったり泣いたりしてくれていることって、実は、「まずボクが取材で感じたこと」だったりする。でも、ただ事実を羅列しても作品にはならない。現場に行き、関係者から聞き、ボクが驚いたり泣けたりした事実を、より物語として楽しめるようにあれこれ悩んでいるというわけ。

「限りなく事実を基にした大ボラ話」を作るのが腕の見せ所。

2005年11月26日 総動員は5、569名!

集計によると、「翼をくださいっ!さらばYS−11」を観てくれたお客様の総数は5,569名とのこと。延べ人数とはいえ、5,000を超えたことが嬉しい。

色々な出会いがあった・・・。パルコではYS−11を作っていたという方も観に来てくれたし、帰りの空港ではスカイマーク取締役副会長にも声をかけられたし(詳しくは10月11日の日記を)。地震による中止と言う「辛いキッカケ」だったけど、この動員からも「新たな伝説」の手応えを感じる。

2005年11月25日 ギンギラ新聞取材

昼から西鉄本社で取材。今回のテーマは来年の春から導入される新型車両について。で、車両担当の方に話を聞いていたのだが、新型が導入されることによって古い電車が引退になるというのを聞いたら、新型のことよりも、引退する電車の方が気になってきた。

引退するのは600形と呼ばれる電車で、昭和37年から走っていた車両。電車の寿命は約40年と言われているので、もう充分活躍したことになる。担当の方の話では「たぶん特別な引退式などはしないだろう・・・」とのことだった。

人知れず頑張った方が消えていくのかと思ったら、もうたまらない。

僕がギンギラの作品で描くのは、街を作った方、空を支えた方など「みんなのために頑張ってきたのに、あまりにも身近すぎて忘れられている方々」の物語。だから、600形電車のこともしっかり取り上げたいのだ。

というわけで、急きょ特集を「新型電車登場!」から「さよなら600形」に切り替えることにした(新型車両は、これからいくらでも取り上げる機会があるだろうし)。今日は車両全般の話を聞いて、後日改めて筑紫車両基地に取材しに行くことに。

2005年11月24日 誠に勝手ながら今日は

スターウォーズの日として、家にこもって映画三昧。いつものごとく、部屋を真っ暗にして電話線を抜いて、100インチの大画面で鑑賞。まずは昨日買ったEP3を字幕スーパーで観て、続けて今度は日本語吹き替えで観る。で、EP3のラストを観たら、旧三部作を観ないわけにはいかない。ちょっと休憩をはさんで記念すべき第一作目へ。

第一作目の「新たな希望」に関しては、「特別編DVD」「デジタルリマスター版ビデオ」「初期のLD」などなど、いくつもある。同じヤツをそんなに持ってても仕方ないだろうにと思うかもしれないが、その時々で一番いい状態で観たかったので、仕方がないのだ。実はこのほかにも、「テレビを録画したベータテープ」「テレビを録画したVHSテープ」「テレビを録画したS−VHSテープ」「テレビ放送を自分で焼いたDVD」と、メディアの進化にあわせて持ってたりもする。バカだなぁとも思うけど、好きだから仕方がないんだよねぇ。

今日は「はじめて観た時の感動」を思い出したくて、一番初期に発売されたLDを観ることに。画質は悪いし、3枚組だから途中で入れ替えないといけないしと「良いとこ無し」だが、何ともざらざらした感じがいいのだ。

関係各位に「締め切りはどうなってるの?」と怒られるかもしれないが、本当に今日はスターウォーズで1日が終わった。ごめんなさい。

2005年11月23日 演劇人サミット

今日は九州演劇人サミットと、「スターウォーズEP3」のDVD発売日。まずはキャナルのHMVでDVDを買ってからぽんプラザへ。顔合わせがてら打ち合わせをして、全員で会場のアートリエへ移動。

話は参加者それぞれの地域の演劇環境からはじまって、集団の運営、今後の野望など色々。こうして話をするのはいいね。僕は常々「色んなジャンルがあって当たり前、正解は1つじゃない」と思っているので、今日も「それぞれが目指すジャンルの数だけ、天下(頂点というか)もあるわけだから、お互い刺激しあおうよ」みたいなことを話した。

2005年11月22日 終わってからの楽しみ

毎日のように公演アンケートが届く。どれも作品を喜んでくれているコメントがたっぷり書かれていてとても嬉しい。きっと、家に持って帰ってじっくり書いてくれたんだろうなぁ・・・。新作準備の真っ最中なので、「次の新作も楽しみにしています」なんて書いてあるとホント励みになる。

中には、恋人同士で一緒に送ってくるのや、家族全員(たどたどしいけど一生懸命に書いてくれているチビッコと両親とか)で送ってくれているのなんかもあって、何とも温かい気持ちになる。「書いてくれた上にわざわざ封筒に入れて切手を貼ってポストまで・・・」と思うと、本当にありがたいことだ。

2005年11月21日 眠たい一日

資料を読みあさる。ああ・・・読む時間が足りない。午前中で締め切りのある仕事をすませて、午後からひたすら資料の読み込み。「うう・・・目が痛い・・・」と、目を閉じてたら爆睡してしまう。昨日の今日だもの、仕方ないよね。夕方ぐらいから復活して再び読む。と、タクジから「今日来福した後藤ひろひと氏と飲みますが」との連絡が。

家を出る口実に大喜び。後藤氏を囲んで、東京の某役者の話など、ここに書けないような話で大いに盛り上がる。酔っぱらって途中寝てしまったが、復活してもまだみんな騒いでいた。復活してからまた飲み始めて、結局朝の4時ぐらいまで飲んだかな。

2005年11月20日 倉庫整理

昼から集合して倉庫の片付け。宗像から戻ってきた「かぶりモノや道具」を片付けるチームと、衣装を洗濯に行くチームの二手に分かれての作業。もったいない気もするが大道具類は廃棄するということで、ついでに倉庫の不要品も持っていってもらうことに。

造形の立場からすると、たとえゴミのようなモノでも全て材料として使えるので、なかなか捨てることが出来ない。で、これが災いして倉庫の中は、足の踏み場がなくなっていた。さすがに覚悟を決めてものを捨てていく。「運んで来た時より荷物が多くなった・・・」と、ちょっと呆れられてしまうぐらい、かなりの量を処分。

でも、4月の新作でかぶりモノがどっと増えるので、すぐに場所がなくなるんだろうなぁ・・・。

2005年11月19日 客席で佇む

昼前に集合して弁当を食べてからゲネの準備。で、ゲネの後は夜弁当を食べて本番の準備。「なんだか食べてばっかりで絶対太ってる・・」とちょっと困った顔の女優たち。やせて力が出ないよりはいい。悪いけど終わるまでは「太るぐらい元気」でいてくれないとね。

役者たちもそれぞれツアー最終日を感じているよう。僕は客席にじっと座って、誰もいない舞台を見つめて過ごしていた。心配されていたお客様の入りも8割がたいってたんじゃないだろうか。いい締めくくりだった。電車の時間があるので楽屋を片付けたところで役者は解散。僕は最後まで残ってスタッフと共に撤収。

アラマッキー運転の照明チームが乗ったトラックで福岡へ。終わった寂しさやらやり遂げた喜びやら、もう訳がわからない興奮で、大騒ぎしてしまった。

2005年11月18日 同じミスはしない

キッカケの確認だけでなく、ドライアイスの流れ方もしっかりチェック。今回の芝居で「一番絵として観せたい場面」なので、気が散るような事態は何としても避けないと。空調、排気ともしっかり確認。

明日のツアー最終公演はきれいに締めくくるぞ!

2005年11月17日 エネルギー充填のもとは

昼過ぎに福岡にもどる。明日は朝から宗像で公演の準備。さすがに西鉄ホールから続いているので、体がきつい。今日はゆっくり家で過ごして明日からの宗像に備える。

あさっての宗像でいよいよツアーが終了だなぁ。

最終公演を前に、これまでのアンケートに目を通す。お客様からの言葉が(もちろん、苦言も含めて)新たなエネルギーとなる。うなずいたり、反省したりしながらじっくり読んでから寝た。

2005年11月16日 涙ぐむ

YS−11がドライアイスの雲の中を飛ぶ場面で、客席に予想以上のドライアイスが流れてしまい、一番前のお客様が芝居に集中出来ないという事態が起きてしまった。せっかく大盛り上がりで楽しく観てくれていたのに・・・。終わった後の挨拶で、まず真っ先に一番前のお客様にお詫び「ごめんね、けむかったでしょう・・・」。会場からは「いいんだよ」と言わんばかりに暖かい笑い声が。ハプニングとはいえ、申し訳ない気持ちだったのでこの笑い声で救われた。さらに一番前のお客様から「大丈夫だよ!」とかけ声が!もうダメだった。このかけ声で感極まってしまい、思わず涙ぐんでしまった。

本当にいいお客様ばかりだった。ぜひまた大分で上演して、名誉挽回したいと思う。

バラシはちょっとへこんでいたが、打ち上げまで引きずると、みんなも寂しいだろうし、何よりせっかく許してくれたお客様に申し訳ない。呼んでくれた担当の方や、関係者の方に感謝を込めて、大いに騒ぐ。

2005年11月15日 大分へ

博多駅に集合してJRで大分へ向かう。彰田さんが隣の席だったので、振り返ったりしながら色々話す。彰田さんには前々から出てもらいたいと思っていたのでこうして実現したことが嬉しいとか。しかし、昨日からどうも振り返りモードになっているなぁ。まあ、全力でやり遂げた「勝利の余韻」に浸りたいということで。

昼過ぎに大分について、まずは昼飯。やはり「とりの天ぷらだろう」と、近くの食堂でとり天定食を食べる。うん、うまい!まずはホテルで荷物を置いてから会場のコンパルホールへ。今日は泊まりなのでスケジュールも余裕。

大分の担当の方は「いよいよね」と、嬉しそうにケイタリングを色々用意してくれている。軽食に、お菓子に、果物などなど。出来る限りのおもてなしをしようとしてくれているのだ。

夜はいくつかのグループに分かれて食事。役者チームは、まるで「千と千尋の神隠しに出てきた湯屋」のような店へ。大分名物を色々頼んでみんなで楽しむ。なんだか食べてばっかりで太りそう。

2005年11月14日 振り返りから前向きへ

昼から西日本新聞社で取材。取材の記者さんもボクらの成功を喜んでくれていて、その様子が嬉しくてかなり長話。

終わった後は堀さん、彦さんとボクでお茶する。ちょっと早いけど、振り返りモードへ。まったりしたまま終わるかなと思っていたら、堀さんから「で、4月は・・・」と、しっかり次の話が。さすがプロデュサーだなぁ。

書き進めている内容と、演出でやりたい構想などを話し、気分はすっかり4月公演へ。

2005年11月13日 まだ大分・宗像があるけど

まさかの地震で有無を言わさず外に出されて、閉鎖されたビルをただ見つめるしかなかった、ショックで立ちつくしていた20日。余震を恐れて中止にしたが、結局余震はなくて「でも地震があってたら取り返しがつかないから仕方がないんだ」と自分に言い聞かせ、無念な気持ちで撤収した21日。

まだ大分・宗像があるけど、ついにリベンジが出来たことに胸がいっぱいになる。

打ち上げは「かりん塔」。本当は休みだったところをワガママ言って店を開けてもらった。大将には申し訳なかったけど、この店で決意表明したから、何としてもこの店で祝いたかったのだ。いつもは乾杯で想いを喋るけど、今日はすぐに乾杯。だって、あえて語らなくても、もうみんな気持ちは伝わっているし。

おいしい酒だった。

2005年11月12日 アフタートークに向けて

今日の夜と明日は終わった後にトークコーナーがある。で、喋る前に「バス軍団東京に行く」と題したスライドショーをおまけで上演することにしている。ゲン、荘太、慎一郎の3人が、東京までの道中をずっとバスキャラで通した「おバカ写真の数々」を御披露目するのだ。ボクが演出して、プロの彦さんに撮ってもらった「本格おバカ写真」は、力が入りすぎて、なんと200枚以上!そういえばボクも彦さんも、もちろんバスの3人も汗だらけになりながら熱中して撮影していたっけ。

「おバカに全力ギンギラ太陽’s」なのだ!

一番効果的に笑えるように写真を厳選し、構成しなおす。まずは出演者のみんなに見せて、さらに修正。

今日の昼も出だしはちょっと緊張感。初めてのお客様が多いからということはわかっているので、気にせずどんどん巻き込んでいく。すぐに会場全体が盛り上がってきた。

夕方にパルコの大竹さんが到着。スケジュールを調整して北海道から駆けつけてくれたのだ。昨日の谷やんといい、本当に嬉しい。大竹さんには夜のトークにゲストで出演してもらった。夜は真っ先に売り切れていた回なのでお馴染みのお客様が多い。気持ちよくボクらをのせてくれるので、逆に浮かれすぎないようにしっかり演じる。トークコーナーもみんな喜んでくれていた。スライドも大爆笑だったよ。

2005年11月11日 初日「あれ、ここはパルコ?」

まずは開場時間にバス軍団で飛び出す。なんだか会場の様子がいつもと違う。それなりに盛り上がっているのだが、何か違う。まるでパルコで飛び出した時のような微妙な緊張感が客席にある。「あれ?ここはパルコか?」と、ちょっと不思議な感覚を持ちながら本番へ。

でもはじまってみればいつもの調子でどんどん盛り上がってくる。東京では(知らないから当然だけど)シーンとしていた初っぱなの人工島の場面も客席は大喜び。これは演じていた荘太も嬉しかったろう。

さて出だしの緊張感だが、アンケートを見て納得。今日は「初めてギンギラを観る新規のお客様」がほとんどだったのだ。どうやら「何がはじまるんだろう」と言う緊張感だったみたい。

終わった後は初日乾杯。東京まで密着してくれた記者さんなど関係者も多数。わざわざパルコからも谷やんも駆けつけてくれた。「やっぱり本場福岡のギンギラを観ないと」と笑顔の谷やんにみんな大喜び。だって一緒に戦った仲間だもんね。

みんなが楽しそうに飲んでいる姿を見ているのが最高に嬉しくて気持ちよかった。3月21日の「打ち上げ改め、残念会改め、決意の会」で宣言した「必ずリベンジするから、新たな伝説作るから」と言う約束を達成出来たことが嬉しかったのだ。半分以上は別の劇団から成り立っているユニットに近い集団だけど、災害を、東京を乗り切った、このメンバーの結束は劇団以上ではないだろうか。

2時間ぐらいで解散して、その後は堀さん、谷やん、ボクの3人で飲む。まずは色々と作戦会議をして、気持ちよく酔っぱらう。

2005年11月10日 さあいよいよリベンジ!

朝9時に集合し西鉄ホールへ。午前中で舞台と照明の仕込みをして午後から立ち位置の確認など。事前に細かく打ち合わせもしているし、パルコからそんなに日も経っていないので、細かいキッカケ合わせは無し。

3月から演じているし、なにより東京を乗り切ったメンバーなので、ボクも安心している。

舞台が出来上がるにつれて、いよいよリベンジがはじまるのだなぁと気合が入ってくる。おかげさまでチケットも全て完売。さあ後は、存分に暴れるだけだ。