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大塚ムネトの超不定期日記(2005年4月)
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2005年04月30日 たまねぎ

稽古帰りにタマネギが食べたくなったので深夜まで開いているスーパーへ。ロイヤルのオニオングラタンスープ、オニオンスライスなどタマネギは大好物。時々むしょうに食べたくなるのだ。

お菓子大好きで「甘いモノのとりすぎは体に悪いでしょ」といつも怒られるボクが、「この食材ならいくら食べてもいいでしょう」と胸を張れるのはタマネギぐらいかも。あ、あとバナナもあるな。まあバナナの場合は、食材と言うよりは、芝居の時に必ず食べる「戦闘食」と呼ぶ方が近いかもしれない。公演の時にはいつも食べてるし、ボクをよく知ってる人はバナナを差し入れてくれる。

本当に出番の直前にバナナを食べて気合いを入れてるんだよ。

2005年04月29日 オリーブ少女とか言ったんでしょ

タイムスリップグリコ「思い出のマガジン」を買う。これは、昔の雑誌をそのまま縮小した豆本がおまけになっているやつ。目当ては、当時読んでいた「男の子向け雑誌」。

で、まず最初に買ったやつに入っていたのは、ファッション雑誌「オリーブ 1985年1月号」の縮小版。表紙の見出しは「オリーブ少女のドキドキ情報」「いいこと予感の星占い」・・・うーん、一番興味ないのが出てしまったなぁ。いや、よく出来てるんだよ。中を見るとかなり小さな文字まで読めるし、懐かしい広告もあるし。

何が悲しいって、3つ買ったのに、おまけが全部オリーブだったこと。うぅーいらないよー!ちっちゃいオリーブが3冊。早くも「おもちゃリストラ箱」行きか。

一応片付ける前にざっと目を通して見た。「オリーブ少女のドキドキ情報」ってのは、「ペイズリーのガウンがロンドンで大流行」とか「まぁるい帽子の箱には夢がいっぱいつまっていそう」とか・・・「つまっていそう」って言われてもねぇ。当然のことながら、オヤジのボクは全然ドキドキしない。「占い」にいたっては、20年前で、しかも女の子向けだからなぁ。

そう言えば昔、何気なく読んだ雑誌の占いで、「階段で見知らぬ男性に後ろから抱きしめられるかも」って書かれていて、ゾッとしたことがある。だって怖いでしょう?知らないやつに後ろから抱きしめられるんだよ。これはかなり怖い。

あとからその占いが女の子向けで、しかも「出会い占い」だったとわかりボクには関係ないとホッとしたが、でも、この状況は女子でも怖いよね。こんな出会いアリか?

と、すっかりおまけのことがどうでもよくなったところで今日はおしまい。

2005年04月28日 あとは本番

どんたくの稽古も今日で最後。かぶりモノをした50人がひたすら踊るのは、何度見ても楽しい光景。今年は、しゃもじ代わりのバス停を両手に持って踊ることにしたので、振り付けた動きも大きく見える。「今年は去年よりバージョンアップさせる」というのが目標だったが、十分いい感じに仕上がってきた。本番のパレードが楽しみ。

予定では、曲を繰り返して10回ぐらい踊ってゴールかなという話になっているが、踊り続けるのは大変かもしれないので、手を振りながら歩く「休憩部分」部分も作ることになった。

2005年04月27日 2回目のどんたく稽古

今日もとまとママの指導で踊りの稽古。「理屈じゃなくて体で覚えるのよ」というのがママの考え方なので、ひたすら踊る。約3分ほどの曲(今年はサンバ!)が鳴っている間は踊りっぱなし。何度か踊っては休憩を取るのだが、みんな息も上がって、中には座りこんでしまう人もいるほど。楽しくへとへとになったところで約2時間の練習は終了。

ギンギラメンバーは解散して、ボクは引き続き無限塾の稽古へ。で、稽古の後はあんみつ姫で今後の打ち合わせ。予算と企画の話をする。実務的なことは立石さんと石川さんが話を進めてくれるので本当に助かる。ボクがひらめいたことが実現していくのも、こうして2人が現実的な裏づけをしてくれるからこそ。おかげで、ボクの仕事は「ワクワクするような企画」を考えることだけになっている。ありがたい。

で、ボクが心がける「ワクワクする企画」というのは、演じる側とお客様の両方に喜んでもらえるもの。例えば、「嘉穂劇場でひよこ侍やったら面白いでしょ」とかね。

まずは関わっているみんなをワクワクさせるところから始まるのだ。

2005年04月26日 役作りは楽し

今日は朝5時起き。場所の都合で収録予定(24日の日記を)が朝10時からなので、逆算して「体と頭がばっちり目を覚ます時間」に起きたのだ。寝起きの1時間ぐらいはコーヒーを飲んだり、シャワーを浴びたりしながらゆっくりして、6時から部屋で自主稽古。

今回収録するのは約5分ぐらいだが、すべて1人で喋る長台詞なので、まずは全体の流れを体に慣れさせる。小さな声からはじめて、最終的には本番のつもりぐらいまで声を出して各パートの感情の確認。感情の確認ができると、おのずと表情とか、体の反応速度(イライラしてると早くなるとかの基本的なこと)が決まってくるので、それぞれのパートを確定させていく。この作業はとても楽しい。まずはひらめきで演じつつ、それを理屈で修正。「ここで怒鳴りたいから、じゃあ、その前は違う怒り方をするか・・」とかね。

右脳と左脳を行ったり来たりって感じかな。

組み合わせは無限でありながら、しかし、出来上がってみれば「なるほど、その人物ならこうするだろう」という答えにたどり着かなければならない。類型的な人物ではまずいが、かけ離れすぎても伝わらない。脚本を書くときと同じで「ちゃんと伝わりつつオリジナル」を目指す。・・・と書きつつ、これが一番難しい。まあ、だから楽しいんだけど。

部屋で汗だくになりながら、何度も繰り返し演じる。楽しいのでやめられないのだ。「たった一人で何をやってるんだ」って、ハタから見るとちょっと気持ち悪いかもしれない。小屋に行く時間になっても、いくつか確定できないパートがあったので、収録場所に行ってからも確定作業の続き。立ち会ってくれていた関係者からもアイデアをもらいながら、時間ぎりぎりまで粘ってひたすら稽古。

収録は一発OKだった。なかなかやるでしょ。

2005年04月25日 マシンが・・・

突然作動しなくなる。今まで何事もなく動いていたのに一体なぜ?トレンドマイクロとは関係ないし(うちのウイルスソフトは別会社)、なぜ動かないんだ!

こういうときに限ってバックアップをとってないんだよねぇ・・・。「稽古か寝るか」なんてウキウキしている場合ではなかった・・・ショック。で、覚悟を決めてリカバリをする。あーもう、リカバリって嫌い。だってせっかくカスタマイズして慣れ親しんだマシンが、急に出荷時の「他人マシン」に戻ってしまうし。

何とかCドライブだけで済んだのでよかったが、メールアドレスやメールはすべて消えてしまった。

※というわけで業務連絡。
大塚のメールアドレス帳がすべて消えてしまいました。関係者の皆さん、空メールでかまわないので、ボク宛にメールを出してください。久しぶりの方もお待ちしてます!・・って何人ぐらいメールをくれるんだろうと、ちょっと不安になったりして。

2005年04月24日 ひたすらこもる

週明けの火曜日に、ある芝居の一場面を収録することになっている。まだ企画の途中だが、試しに一場面演じているところを収録して、この先の進め方を検討することになっているのだ。で、今日はひたすら家でその芝居の稽古。

3ページほどの長ゼリフを覚えて動いてみる。あー難しい。でも楽しい。

へとへとになりながら稽古。疲れて眠くなったら寝て、また起きたら続き。さすがに夜中になって力尽きて寝ていたようで、気がつくと夜が明けていた。「稽古か寝るか」という、役者大塚としては、本当に幸せな一日の過ごし方だった。日々のことに追われているので、いつもとはいかないが、たまにはこうして過ごしたいなぁ。

2005年04月23日 倉庫の大掃除

3月公演が終わってそのままになっていた倉庫をメンバーで大掃除。衣装はだいたい片づいたが、問題はかぶり物。毎回60個以上増えているし、3月公演も再演というよりは改訂版だったので、さらに30個ぐらい増えている。本来は奥の2部屋をかぶり物、玄関横の1部屋を衣装、そして6畳の台所を事務所にと考えていたのだが、台所もかぶり物で一杯。今日の作業は夕方までだったが、途方に暮れている状況のまま終了。

さて、どうしたものかなぁ。

悩みつつ無限塾の稽古へ。今日の稽古場は初めての「夢アールおおはし」。室内の照明が丸い蛍光灯で、しかも49灯(7列×7列)もついていたので、ちょっと変な感じだった。省エネってことなのかなぁ・・・。

終わった後、別の部屋で稽古だった川原君と田坂君に会う。「西鉄の時の3人が久々にそろったね」としばし歓談。怪しいユニットを作ろうという話をずっとしているので、その話もちらっとする。

2005年04月22日 どんたく初稽古

今年も西鉄パレード隊のプロデュースをすることになった。西鉄の社員50人がバスのかぶり物をして、天神ど真ん中を堂々と行進するのだ。いやー痛快痛快。

今年は振り付けをとまとママに頼んだので、去年よりもかなりバージョンアップした踊りになっている。

今日は別件の打ち合わせが西鉄本社であったので、そのままどんたく関係を仕切っている総務部にご挨拶をして、本社ビルの中にある大会議室へ。本社の中でバス軍団が踊りの稽古をしてるのが、何とも楽しい。

5月3日をお楽しみに!

2005年04月21日 永久保存版に

TVチャンピオン「コロコロからくり装置王選手権」を見る。コロコロからくり装置というのは「簡単な動作を、わざわざ複雑な仕掛けをつくっておこなう」こと。最近で言うと、ピタゴラスイッチでおなじみだが、ボクとしては、やはりトムとジェリーに登場したねずみ取りマシンの印象が強い。後セサミストリートにも出てきたなぁ。

決勝が、勝負というよりは、「無事最後まで動いてくれ」と、敵味方なく応援しながら見守っていたのが素敵だった。優勝した装置は、そりゃあ見事に「ちょっとしたこと」を大げさにやってくれてましたよ。

ちなみにトムとジェリー「失敗は成功のもと」に登場するコロコロ装置は、まずジェリーがひもの付いたチーズを引っ張る→ひもの先に目覚まし時計のスイッチがあり、引っ張られることでスイッチが入り目覚まし時計のベルが鳴る→ベルをたたくハンマーに結ばれたひもがのこぎりにつながっていて、ベルの動きにあわせてのこぎりが丸太を切っていく→丸太が切れて下に落ちる→下にあるはさみの上に丸太が落ちてひもが切れる・・・・と、まだまだこの後に10以上の行程を経て、ようやく最後に「ジェリーの上に大きな金庫が落ちてくる」という仕掛け。くだらないでしょう?でもそれがたまらなくいいんだよねぇ。

小さい頃初めて見たとき、次に何が起きるかわからないワクワクと緊張感で画面に釘付けになった。当時はビデオなんかないので、チラシ裏の白い面に一生懸命思い出しながら書き写したのを覚えている。本当に衝撃だった。小学校でこのからくりを考えるのがブームになったほど。

続きを知りたい方はDVD「トムとジェリー」の9巻に収録されている(9巻では最後に収録されている「ひげも使いよう」もオススメ。これに出てくるペコスおじさんの歌がいいのだ)。

ああ、からくり装置を作りたくなってきたなぁ。

2005年04月20日 地震で悲鳴はあげなかったけど・・・

ちょうど読み終わってウトウトしていた時だったので、一瞬、「小説の世界」と「地震の記憶」がごっちゃになった夢を見たのかと思った。まさか1ヶ月後にまた地震とはねぇ・・・。せっかく並べ直したおもちゃたちもまた倒れるし・・・。やはりリストラやむなしか。

どうやらこの前より揺れが激しかったみたいで、今までで一番部屋がぐちゃぐちゃになっていた。食器など壊れた物も多数。トイザらス限定Xウイングの翼が折れ、謎の円盤UFOの飾り台も壊れてしまった。一番ショックだったのは、トイレに飾っていた宇宙戦艦ヤマトが水洗トイレに沈没していたのを発見した時。

地震の時に悲鳴をあげなかったボクも「ああっ〜!ヤ、ヤマトがぁぁ〜」と、かなり情けない叫び声をあげてしまった。

2005年04月19日 心地よい疲労

今日の予定は午後に人と会うだけ。・・・本当は他にも予定があったけど、続きを読みたい誘惑に勝てず「どうしてもはずせない大事な用事がある」と言って別の日にしてもらう。え?大事な用事?もちろん続きを読む事に決まってるでしょ。

夕方で上巻を読み終わってちょっと休憩。で、食事をして風呂に入って、電話線を抜いて、携帯も切って、いよいよどっぷりと下巻の世界へ。早く最後まで読みたい気持ちと、何時までもこの世界にひたっていたい気持ちの板挟みに悶えつつ、夜が明ける頃に全て読み終わる。「まさか○○が××してしまうとは!」と、興奮しっぱなしだった。徹夜で一気に読んで「ヘトヘトになる迄世界に浸る心地よさ」を堪能。

たまにはこういう時間も必要なんだって。

2005年04月18日 方言がちょっと変だけど

村上龍の最新作「半島を出よ(上)」を朝から読む。北朝鮮の特殊部隊が福岡ドームの開幕戦を襲い九州が封鎖されるという、地元民としては、かなりセンセーショナルな話。福岡が舞台とあって、ギンギラでもお馴染みの場所が次々と登場。読んでいると、リアルな風景と物語が頭の中でミックスされて、不思議な臨場感に包まれる。これが気持ちいい。

今日は夕方から稽古に行くだけだし、すでにセリフも全部覚えているので、ギリギリまで読み続ける。

そう言えば昔読んだ「タイムスリップ大戦争」というSF小説で、過去にタイムスリップした平和台球場にモンゴル兵が攻めてきて「元寇だー!」と大騒ぎになる場面があった。この小説、NHKFMの「音の本棚」という番組でラジオドラマにもなっていたが・・・・って誰も知らないか。

2005年04月17日 エンターテインメントの戦い

義経を見ていると、「ああ大河ドラマってこうだよねぇ」と思う。水戸黄門のような大いなるマンネリというか、お約束の数々。いつもの路線に戻ったとあって視聴率もいいらしい。視聴率がよかったドラマでマンネリといえば、「ごくせん」だってそう。

安心感が受けたということか?

タダでお手軽なテレビなら「安心感」も大きな武器になるだろうが、わざわざ来てもらわないといけない舞台の場合は、「安心感=マンネリ」となると、一度観ればいいやって事にもなりかねない。安心感もありながら、驚きの仕掛けが必ず必要になる。

いつも言ってる事だが「予想は裏切るが期待は裏切らない」というのを追求しないとね。

2005年04月16日 ボクも戦い中

夕方からぽんプラザであった交流会へ。ギンギラの事を20分喋ってくれと頼まれていたのだ。何を話そうかと思っていたが、若手が多いとの事だったので「地方だって、ちゃんと作戦立てて頑張れば何とかなる。だから負けずにね」みたいな事を話す。

終わりがけにG2さんも登場し、来週西鉄ホールで公演する芝居の裏話などを披露してくれた。ボクも客席で観客として楽しく聞く。

終わった後はFPAPの高崎君や交流会に参加していた劇団の人達と近くの居酒屋で飲む。で、それぞれの想いを聞いて「がんばれよ」と励ます。ボクだって、まだまだ戦っている最中だし、へこむ事も多いんだけど、いつの間にか応援する側になっているんだなぁ。

2005年04月15日 ニュースが続く

何とスペースワールドが身売りを検討しているという記事が各紙の一面を飾っていた。「九州のテーマパーク総崩れ」なんて見出しを付けている新聞もある。やはり宇宙への夢だけでは無理だったか・・・。

他にも今日の新聞は注目記事で一杯。

再建中のダイエーに、全然別分野から新社長が決まった話。西鉄バスに全面広告のラッピングバスが22台登場する話(ちなみに広告費は一般路線バスで年間120万円との事。ギンギラのラッピングバスが走ったら面白いだろうけどねぇ)。あと、地下鉄の天神南駅から天神駅まで歩くお客様から「乗り換えが遠い」と苦情が殺到しているため、手荷物用のカートを貸し出すサービスが始まるって話も出てたが・・・そもそも遠いのに「乗り換え」とか無理な事を言っているのが問題なので、これってどうなんだろう?

2005年04月14日 外食王死す

ロイヤルの創業者である江頭匡一氏が13日に亡くなった。江頭さんは、一ヶ所で集中して調理するセントラルキッチンを日本で最初に取り入れ「外食レストランの基本形」を作り上げた、いわば外食産業の生みの親。味に妥協せず、試食を繰り返し胃腸を何度も手術した話や、外食産業全体のためにセントラルキッチンのノウハウを広く公開した話など、伝説がたくさんある(「翼をくださいっ!」に登場するロイヤルさんは、戦後、板付空港での見習いコックから始まる江頭さんがモデル)。

「流通3羽ガラスの最後の一人が逝く」と締めくくった毎日新聞、生前のエピソードを紹介した西日本新聞など、福岡が誇った外食王の訃報は各紙でも大きく取り上げられていた。

心よりご冥福をお祈りします。

2005年04月13日 立ち回り

ボクが演じるのは、吉原を仕切っている雨宮次郎ェ門という老人の役。その昔、関ヶ原の合戦で右足を痛めているという設定で、刀ではなくて杖での立ち回り。もう大喜びで脇坂さんに動きをつけてもらう。今回、ボクは3ヶ所ほど立ち回りがあるらしいが、まずはプロローグで10手の立ち回りを振り付けてもらった(ちなみに、博多ぶらぶらの時の立ち回りは20手ほどだった)。

作・演出でもある脇坂さんが全ての立ち回りを振り付けるのだが、どれも美しくて、しかも無駄がない。嘉穂の時もそうだったが、「ちゃんとそれぞれのキャラ設定に合った立ち回り」になっている。ほんとカッコイイ。

芝居に踊りに立ち回りと、5月のSAZENは見所一杯だ。

2005年04月12日 3人でNHKへ

夕方の情報番組にとまとママ、泊君、ボクの3人で出演。東京物語の宣伝をする。隣のスタジオでは、ちようど華丸・大吉コンビが出演の番組を収録中。すっかりご無沙汰だったので控え室で挨拶をして、最近の事(2人は東京事務所に変わったのだ)などを色々話す。

出演の後はパピオで東京物語の稽古。稽古というかワークショップみたいな感じ。「今までの事を忘れて違う感じで」というお題だったので、いつもより高めのトーンで喋っていたらどうも気持ちが悪い。演出からも「押さえた感じで」とのことだったので、ホッとしていつものトーンに戻す。「ただ違えればいい」ってもんじゃないよね。ちょっとしくじったかな。でも、こうして演出に全てをゆだねて色々試せるのがとても楽しい。

1時間ほどの稽古だったが、全体の演出プランも聞けたし、軽く半立ち稽古もしたし、充実した稽古だった。本稽古が始まるのが待ち遠しいな。

ボクととまとママはそのまま市民会館に移動して無限塾の稽古へ。大好きな時代劇なのでこれ又楽し。

2005年04月11日 「SAZEN」と「東京物語」

ふと「これまで誕生日の前後はどう過ごしていたかなぁ」と思い、過去の日記に目を通す。2001年の10月から書き始めたので誕生日に関して過去3年分ある。自分の事ながら、色々あったなぁとしばらく読みふけった。

夜は無限塾「SAZEN」の打ち入り。40歳の第一日目が芝居の打ち入りというのが何とも嬉しい。途中、ケーキでお祝いまでしてもらった。明日は東京物語の稽古があるので一次会だけで帰宅。

自分が一緒にやりたいと思っていたメンバーとの芝居が2本もある。この2冊の脚本が一番のお祝いかな。

2005年04月10日 旧岩田屋ビルにロフト!

「ロフトの福岡進出」は、昔からずっと噂されていた。旧NHK跡地(今の岩田屋新館があるところ。ギンギラが初めて公演したのはここにあったスポーツ屋台だったので、岩田屋だけでなくギンギラにとっても大切な場所といえる。)の再開発の時にも進出の話があったし、2002年の暮れに発行された「九州の流通業界再編地図」という本には、渡辺通りにあったRKB跡地に建つビル(ビビの事ね)に、ロフトが2004年に進出すると書かれていた。

結局ビビ進出計画も流れたが、とにかく福岡で大きな開発というと必ずと言っていいほど出てきていたのが、このロフトの話だったので、「ついに来るか!」という感じ。

ただ、もしロフトが進出してくるとなると、インキューブはどうなるんだろうか?「雑貨の大型専門店」というコンセプトがおもいっきりロフトとかぶっているし・・・。渋谷のようにロフトとハンズだったら、雑貨系と素材系と棲み分けも出来ると思うのだが。

造型の仕事もしているボクとしては、ハンズも進出して欲しいんだけどなぁ。

2005年04月09日 雁ノ巣で野球

今日は久々の草野球。バッチリユニホームも着て雁ノ巣のグランドへ集合。公演と重なって全然参加できていなかったのですごく楽しみ。まずは軽くキャッチボールとノックから。で、体が温まってきたところで試合開始。

相手はいつも試合をしている九産大生のチームだが、本格派投手(何と中学時代に柳川高校から声がかかったんだって!)がいる事もあって、これまで一度も勝てていないらしい。今日の試合でも、我がチームの野球経験者は相手投手の速球に苦戦。ただし、ボクのような野球初心者には、ちゃんと打ちやすいボールを投げてくれる「大人な配慮をもつ投手」だったので、それなりに互角な戦いが続いた。まあ、楽しんでこその草野球だしね。

「相手投手のやさしさ」のおかげで打たせてもらったのに、塁上で大喜びするボク。どっちが大人かわからないぞ。

何としても勝ちたいボクらは、相手投手の「大人な配慮」にすがり、応援に来ていた子どもやマネージャーの女子までも動員して「とにかく先制点を取るんだ作戦」を展開。我がチームの投手が絶好調だったこともあり、何と初勝利を手にする事が出来た。「勝ち取った」と言うよりは、「勝たせてもらった」に近いが、もうチーム全員で大騒ぎ。

ちょうどグランド上空は飛行機の通り道になっているし、格納庫跡もすぐ近くなので、3月公演を思い出しながらの野球だった。福岡空港に向かうYS−11を見つけた時は嬉しかったなぁ。

2005年04月08日 久々に嘉穂劇場へ

さかえ屋さんから、「社内誌に嘉穂劇場の伊藤さんとボクの対談を載せたい」との依頼があった。恩返しをするチャンスなので(だって、こっちこそキャラとして登場させてもらってるし)、もちろん即OK。

きょうは昼から嘉穂劇場で対談。久々に伊藤さんご夫婦に挨拶をして、最近決まりとなっている地震話からはじまって色々話す。劇場はしっかり補強がされているので被害はなかったとの事。よかったよかった。

すでに次回作の構想もあるので、ちょっと無理かなという仕掛けまで含め伊藤さんに話したら、笑いながら「存分にやっていいよ」との言葉が。そう言えば、去年の復活公演の時も、大抵の事はすぐに許可を出してくれた。劇場側から「やっちゃだめ」なんて言われた事無かったなぁ。逆に「面白いねぇ、どんどんやんなさいよ!」って応援される事が多かったくらい。

伊藤さんご夫婦のお人柄も、嘉穂劇場の大きな魅力の一つだ。

2005年04月07日 公演アンケート

3月公演のアンケートが事務所に届き始めた。アンケートに「郵送でも歓迎致します。お持ち帰りになってごゆっくりお書き下さい。」と書くようにしてから、こうして公演が終わってから届くアンケートも増えている。

同じ封筒で送ってくるカップルの方、アンケートの他にお礼状や新聞の切り抜きを送ってくれる方など、様々。地震のお見舞いもいただいた。

もちろん公演直後に書いてもらったアンケートも1枚1枚大切に目を通すが、こうして送られてくるアンケートもとても嬉しい。「よし、また喜んでもらえるように頑張るぞ」と、本当に励みになる。

2005年04月06日 リストラに悩む

地震のせいで、棚に飾っているおもちゃが全て倒れていた。ちょっとホコリもたまっていたし、思い切って全てのおもちゃを水洗いする。で、悩んでるのがどう飾るかについて。元々は「ある棚の一段だけをおもちゃスペース」と決めていたのだが、どんどん増えてしまい、今では部屋中に散らばっているのだ。さすがに落ち着かないので「何とかしないとなぁ・・」と思っている時に地震。

この際、大部分を片付けようと思っているのだが、どれも飾ってやりたいヤツばかりなので、なかなか選べない。

とりあえず同じモノは1つだけ飾る事にして調整中。え?同じモノが複数あるってどういうことかって?つまり、ディスプレイ用の大きなヤツ、食玩、ガチャガチャ、電動で動くヤツなどなど、3〜4種類ぐらいは同じモノがあるって事。「同じなら一個でいいでしょ」とかナシね。だって大きさも違うし、特徴も違うし。

うーん、リストラって大変だ。

2005年04月05日 いよいよ無限塾の稽古

東京から脇さんも来ての稽古だというのに、打ち合わせが長引いて遅刻してしまった。ちょうど自分の場面だったので、簡単に挨拶をしてからすぐに読み合わせに参加。すでに今日の稽古で立ち回りも作り始めているとのこと。さすがだなぁ。

今回役者としてはもちろん、立ち回りにも参加出来るのが楽しみなのでワクワクしてしまう。

2005年04月04日 演技オタクなので

作業して、ニヤリして、作業して・・・と繰り返しているウチにすっかり夜が明けた。バカだなぁとも思うが楽しいんだから仕方がない。ちゃんと仕事も終わらせて入稿したし、まあいいか。

ボクは演技オタクなので、「自分が見てしびれた演技」を再現しようとすることで、もう一度味わうのが大好きなのだ。牛で言う反芻みたいなモノか。

寝る前にCSをつけたら朝から「ブギーナイツ」を放送していた。好きな映画ではあるが、さすがに徹夜明けで見るのはちょっとねぇ。だって主人公が活躍するのはポルノの世界だし。どうせビデオで持ってるので仮眠を選ぶ。

2005年04月03日 丹波スマイルにノックアウト

大河ドラマに「平家側についた源氏の長老役」で丹波哲郎が出演している。で、「うーん、すっかりお年寄りになったなぁ・・・」と、寂しい気持ちで見ていたのだが、今日の丹波さんは違った。いや、ヨボヨボは変わらないのだけど、平家に反旗を翻して戦う決意をするあたりから、がぜん芝居が力強くなり迫力が出てきたのだ。圧巻は、終わり間際の、平家の使いから戦いをやめるように説得される場面。自らの屋敷に火を放った丹波さんは激しく燃える炎をバックにして、ただ「ニヤリ」と笑い去っていく。

この「ニヤリ」が凄かった。何も言わず、凄まじい眼差しで「ニヤリ」。思わず「カッコイイ」と声に出してしまった。もちろんBSでの22時からの放送でも、「ニヤリ」をしっかりチェック。

22時の回を見た後は、鏡の前で「ニヤリ」の練習。まずは丹波さんのようにヨボヨボの表情を研究して、で、その顔が怒っていくイメージで・・・と試してみるが、これが全然出来ない。明日入稿のギンギラ新聞を仕上げながら、合間で丹波スマイルの研究。

2005年04月02日 久々のエチュード千本ノック

夕方まで家で色々仕事をしてから、久々にきららの稽古場へ。池田さんから「来るならエチュードに参加しなよ」と嬉しい事を言ってもらえたので、着替えとタオルを持って「やる気マンマン」で移動。

きららの5月公演は「こども廃業」というタイトルで、ダメ大人がたくさん出てくる芝居になるらしい。ボクは「年下のサラリーマン宅に居候するダメ男」という、これって昔の自分の事だよと笑ってしまう設定のエチュードや、インチキセールスマンなどを楽しく演じた。宗さんとヒデが「かわいいダメ母さんとしっかり子ども」という設定で即興をやっていたが、笑えるのに切なくなる見事な出来で、もう完成と言ってもいいぐらいだった。

これは芝居の全体が楽しみだ。

稽古の後は池田さんとボクとヒデの合同誕生会。去年に続き今年もきららのみんなに祝ってもらった。こうして祝ってもらえるのは嬉しい。

2005年04月01日 40歳まで、あと10日

午前中にFAXでイラストのラフが送られてくる。いくつか修正点を電話で確認して夕方にはイラストが完成。あとはスキャナーで取り込んで着色作業。いつもは挿絵として4、5点のイラストなので作業はすぐに終わるが、今回はイラストがメインなので時間がかかる。朝までかけて、やっとイラストの上半分(渡辺通りのイムズ側)が終了。

同じ作業ばかりだと辛くなってくるので、気分転換に別の原稿を書いたりする。入稿は月曜日なので、ぼちぼちやるか。

しかし、いよいよあと10日ちょっとで40歳になる。若さの勢いだけで消えていく劇団が多い地方で、いい歳になっても芝居をしていたいと思いながら「という事は、ちゃんと芝居を職業に出来なければいけないのだ」と、試行錯誤をしながらここまで来た。40歳になろうとしている今、「芝居で食ってるよ」と言える自分が嬉しい。そりゃ贅沢なんかは出来ないけど、十分幸せだ。