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大塚ムネトの超不定期日記(2001年10月)
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2001年10月31日(水) 黒澤監督とオタクアミーゴス

今日は天神でうち合わせ。移動の途中、「オタクアミーゴス・ライブ」のチケットを買いに福家書店へ。
新刊のコーナーで「黒澤明 天才の苦悩と創造」というタイトルの本を発見、監督の熱狂的ファンなのでアミーゴスのチケットと一緒に買う。幻と消えた「トラ・トラ・トラ」について、関係者が語ったインタビューがとても面白かった。
この本に載っている黒澤監督の言葉「才能は努力と忍耐だ」というのがグッと来た。
・・・ここんところずっと脚本を書いているが、最近「このぐらいでいいんじゃない。もうすぐ締め切りだし」なんて誘惑に負けそうになっていたボクなので、この「才能は努力と忍耐だ」という言葉はホント心に響きました。そうだよね、「もう、ここまで」と諦めたらダメだよね、うん、なっとくするまで書き直さないと!
「よーし、脚本ねばるぞー!締め切りが何だー!そんなものボクには関係ないぞー!」という気になってきた。

あのー「締め切りを守ったうえで、ねばらないと・・・」と言う冷静なツッコミは無しでお願いします。まあ、ほら、今日のところは、そのぐらいの気持ちなんだということで・・・ね。

2001年10月30日(火) ゲームをやった方、感想を教えて下さい。

任天堂ゲームキューブ用ソフト「ピクミン」のTVCM「ひっこぬかれーてー、戦ってー、食べられてー、それでもついて行くー(・・・確か、こんな歌)」というヤツがすごく気になる。だって、「食べられてもついていく」って、すごい事言ってるし・・・。CMでは主人公にくっついて動いている小さなキャラ達が、大きな怪獣にバリバリ食べられているシーンが流れていた。どうやら、ゲームのプレイヤーに従って行動する味方を、さんざん犠牲にしながら目的を果たすゲームのようだ。ボクは「ひたすらに自己犠牲を続けるキャラ」が出てくる話にスゴク弱いので、ちょっとやってみたい。

「ひたすらに自己犠牲を続けるキャラ」といえば、シルバスタインの絵本「大きな木」とかもたまらん話だったなあ。身勝手な主人公につくす木の話なんだけど、ほんとうに「泣きたくなるぐらいひたすらに」つくすんだよね。

そういえば昔の童話とかでも、「だから、なんなんだー」って言いたくなる話がよくあったなぁ・・・。

2001年10月29日(月) ちょっとだけ重大発表・・・

今日は1日、ひたすらに脚本を書いていた。(隣の「DIY大家さん」が静かだったので集中できた!よかった・・・。)もう、このスキにガンガン書きまくった。なんとなく1本目の方はメドが立ったかな。この調子で、もう1本の方も進むといいのだが・・・。もう1本の方は、構成がまだ甘いので「脚本の神様」は当分降りてきそうにない。とりあえずチラシの締め切りに間に合うように、早いところ構成だけでも完成させなければ・・・。

あっ!こう書くと来年2月公演が2本立てなのがバレてしまいますね・・・。

2001年10月28日(日) 愛すべき「おバカ映画」

映画「キャッツ&ドックス」を観に行く。人間の味方のイヌ族と世界征服を狙うネコ族が、マトリックス並みのアクションをくりひろげながら戦うという「設定からして、もうウソばっかりの映画」なんだけど、CGで強引に「らしく見せている」のがスゴク面白い。予想以上に「実際の動物達」が名演技を披露しているのもよかった。(ボクは特殊工作部隊の「ドーベルマン軍団」が1番気に入った。)
登場する動物達がハイテク機器を平気で使いこなしている姿に、「肉球ぷにゅぷにゅの前足でコンピューターは使いこなせないだろー」なんてツッコミを入れつつ、大いに楽しんだ。

この映画を観て、大好きな作家、カート・ヴォネガット・ジュニアの短編小説「ほら話、トム・エジソン」(早川文庫「モンキー・ハウスへようこそ.1」に収録)を思い出した。もしかしたら元ネタになってるのかな?

2001年10月27日(土) ドジな事件は公演中にもよく起きる。

面白いHPを発見、その名もAhoo!JAPAN(アホージャパンと読む)。おバカな情報満載で、色んな人のドジ話を集めた「みゆちの愛すべきAhoo!達」というコーナーがおすすめだ。(http://isweb21.infoseek.co.jp/art/mijuki/ahoo/ahoo
「飛行機で沖縄に行く途中でやらかした父親の話」「夢にうなされた父親の話」など、父親ネタが面白かった。

ドジな事件といえば・・・イベントで、ある女子大の学祭に行ったときの出来事。クライマックスのシーンで、ボクが決めゼリフを言った瞬間に、ボクの差し歯が客席に「ぴゅー」と飛んでいった事があった。(ボクの前歯は4本とも差し歯なのだが、このイベントの時はまだ「4本がつながって1つになっている仮歯」だったので、まるで入れ歯のような、「前歯4本が1つになったカタマリ」が客席の女子大生たちの間に「ぴゅー」と飛んでいってしまったのだ!)
ほら、事故とかで、その瞬間をスローモーションのように感じるって言うでしょう?この時もそうだったね。ボクの口を飛び出した「歯のカタマリ」が、ゆっくりと放物線を描きながら客席の女の子の前に落ちていったもん。その女の子ははじめ「何が起きたんだろう?」という顔をしていて、その顔がだんだん「信じられない!」て顔に変わって、そして最後に悲鳴を上げた・・・。もう全部ゆっくり動いて見えたもんね。
飛ばしたボクが言うのも何だけど、歯がまとめて飛んできたら、そりゃ怖いよねー・・・この時は、本当に恥ずかしかったなー。

2001年10月26日(金) 「DO IT YOURSELF 」もほどほどに!

ここ2,3日すっかり昼夜が逆転している。原因は隣の大家さん。この大家さんは何でも自分で作っちゃう人らしく、時々すさまじい音を立てて作業を始める。(しかもいったん始まると、もう1日中、工作機械の音をガンガンに響かせている。)ここ1ヶ月程は静かだったんだが、ボクが脚本を書き始めた途端に「ギヨォイーン、ギヨォイーン」と、すさまじい機械の音が響きだした。どうやら隣の大家さんも「何かひらめいて」活動を始めたらしい。せっかく「脚本の神様」が降りてきたと思っていたのに全然集中できない。仕方なく夜中に作業をしているが、昼間は色々あるのですっかり寝不足が続いている。
この隣の大家さんは、朝6時(!)ぐらいから平気で作業を始めるし、日曜日だってお構いなしで「ギヨォイーン、ギヨォイーン」とくる。ある時、あんまりうるさいから一体何をしているのか見に行ったら、何とこの大家さん、大型冷蔵庫を自分で小さく解体して、燃えないゴミ袋に詰めていた!(たぶん粗大ゴミで出してお金を取られたくなかったんだと思う。)まったくかんべんしてほしい、「大型冷蔵庫を小さくバラバラにする」なんてこと、個人でするかな普通?
しかし、ボクが脚本を書こうとするときにかぎって、隣の大家さんも作業を始めるのはナゼだろうか?・・・もしかして「やる気になるバイオリズム」とかが一緒だったりして・・・うわー、もしそうだったら最悪だよね。

2001年10月25日(木) 自転車から、なぜかパンツへ

掲示板をにぎわせていた「コガキョ自転車盗難事件」が、何だか解決したようだ。コガキョ(スカイマーク役)もそうだが、ギンギラの女優陣は自転車利用者が多い。自転車にでかでかと名前を書く「立石さん」(前回は産休を取った瀬戸さんの変わりに長崎空港を熱演。)もそう。ただし、ギンギラ小さいモノクラブ代表の立石さんなので、自転車に乗る姿は、まるで「小学生が親の自転車に無理矢理のっている」ように見えて危なっかしい。
しかし立石さんの書き込み「でかでかと名前を書く」というコメントには参った。もう一気に小さい頃の恥ずかしい記憶がよみがえったもんね。(詳しくは、掲示板NO・489の書き込みを見るべし。)ところで今どきの子供はブリーフ派じゃなくてトランクス派らしいと聞いたんだけど、本当なのかな?小さい子供がトランクスなんて、なんか生意気な気がしてしまう。自分が中学ぐらいまでは、みんなブリーフだった記憶があるんだけど・・・これも時代の流れというやつなんだろうか?

2001年10月24日(水) どうやら四季の方もギンギラを観てくれているようです。

今日は、九州ウォーカー連載コラムの取材日。今回はライオンキングの舞台裏を探検することになっている。先ずは公演を観ることに。徹夜明けだったので(理由は昨日の日記を)寝ちゃったらどうしようと、内心不安だったんだけど、そんな心配は無用だった。もうオープニングシーンから釘付けで本当に面白かった。
舞台裏を見せてもらうのが、今回の取材の目的なので、いったん外で客出しが終わるのを待ってから再び会場の中へ。制作の方に案内してもらって、セットや、小道具をしっかり見せてもらう。(何と小道具部屋まで見せてくれた!ギンギラでかぶりモノを作っているボクとしては、この時が1番興奮した!!)
取材が終わって、舞台裏を案内してくれた四季の制作の方に、「昔ギンギラで、1分で終わるオペラ座の怪人というネタをやったことがあるんです」と告白したら、「知ってますよ。」と答えが返ってきたので「あっ、ばれてる!」と、ちょっとドキッとしてしまった。でもそのあとに「スタッフにギンギラファンがいるんですよ」と話が続いたのでホッとする。・・・この感じだと、ライオンキングネタをやっても大丈夫かもしれない。
夜は「文化芸術振興財団」というところで打ち合わせ。今日は徹夜明けでヘトヘトになったが、「ライオンキング」の世界を、表も裏も存分に堪能できたんだから文句はない。大満足の1日だった。

2001年10月23日(火) ほんとに、降りてくる感じなんですよ。

夜中になって、脚本の作業がグンと進んだ。断片的なシーンや、セリフがどんどん浮かんでくる。まるで「脚本の神様」が降りてきた感じ。思いつく端からどんどんメモしていく。あまりのうれしさに徹夜で脚本を書く。全部ではないが、大事な部分は、だいたいめどがついたかな。いいぞーおれ!久々に自分をほめてやりたい気分。
いつもこうだといいのだが、この「脚本の神様」はなかなか降りてきてくれない。取材して、資料を集めて、自分の作りたい話のイメージを固めて、それを、ひたすら、ひたすら、ひたすらに、頭の中でこねくり回して「ああ、もう逃げちゃおーかなー」ぐらい精神的に追いつめられた頃に、やっと登場となる。あー来年の2月までに、あと2,3回降りて来てくれるといいんだけどなあ・・・。

「脚本の神様」って、なかなか現れずにさんざん振り回すくせに、ひとたび現れれば見事に結果を出してくれる「憎いあんちくしょう」なのだ。

2001年10月22日(月) 「ギンギラ好きのおもろい夫婦」

ギンギラ御用達の店「ジャンジャン」はカリーがおいしいエスニック料理の店。(店のオーナー夫婦がギンギラのお客さんだったのがキッカケで、いまではギンギラ本公演の打ち上げは、いつもここでやっている。)今日は、この店のオーナー夫婦のお話。
題して「おもろい夫婦カラオケに行くの巻」
2人はカラオケが大好きで、よく一緒にカラオケボックスに行くらしいんだが、何とこの2人は、1人ずつ別々に部屋を取って歌うんだそうだ。それぞれ別のボックスに入るなり、家であらかじめ書いてきた「歌うリスト」にそって、一瞬たりとも時間を無駄にしないように、ひたすら歌うとのこと。「カラオケに2人で行って、別々の部屋に入るなんて、そんなの寂しすぎる」とボクがいうと、「となりの部屋から壁越しに響いてくる相手の歌声を聞いてるから寂しくない。」とくる。・・・それって、楽しいのか?

2001年10月21日(日) 今日だけで3日分ぐらいしゃべったかな

熱が出て昼過ぎまで起きられなかった。「昨日の打ち合わせがハードだったからなぁ」と、へこんでいたが、HPの掲示板に「ミルメーク」へのメッセージがたくさんあったのが嬉しくて、ちょっと元気になった。メッセージを書き込んでくれた皆さんに感謝、感謝。

夕方から天神へ。今度、演劇に関するHPを立ち上げるという方に会って、ギンギラのことを色々話す。「限られたお客さんしか来ない」福岡の演劇環境を打破したくて、新しいことを始めようとしたのがギンギラを始めるキッカケだったことや、「福岡で演劇をやる意味、自分らにしかできないオリジナルな表現」を求めてもがいていること、その結果たくさんのお客様に支持してもらえていること、などなど2時間ぐらい話した。何だか雑誌の取材をうけているようだった。最後にその人が、「どうも、自分は昔ながらの演劇が好きで、じつはギンギラに偏見を持ってたんです」と正直に告白してくれた。「いいんですよ。ギンギラのお客さんだって、初めて観た方のアンケートには色物かと思ってました。なんて書いてあるくらいですから。」と、ボクも笑って答えた。

たくさん喋っておなかがすいたので、ギンギラ御用達の店「ジャンジャン」へ。チキンマサラカリーと、ジャンジャン特製骨なしチキン(ボクの大好物!)を食べてご機嫌になる。「ギンギラ好きのおもろい夫婦」がやっている店なので、つい、調子に乗ってビールを飲みながら夜遅くまで騒いでしまった。気がつくとしゃべりっぱなしの1日だった。

2001年10月20日(土) 今日は楽しく始まり、苦しく終わりました。

就職で和歌山に行ってしまった「元ギンギラメンバー」の松延くんが、友人の結婚式で帰ってきたので久々に会う。「長期休暇を取って2月公演に出たら?」といったら「ああ、ホントに出たくなるからやめてください。」と悲痛な叫びが返ってきた。かぶりモノを一緒に作っていたし、ハイテンションの演技も独特だったし、なによりスタトレファンの松延君には、いつでも帰ってきて公演に参加して欲しいのだが・・・。せっかく堅気な人生を送っている彼なので(現在は大学の教官をやっている。)悪の誘いはやめることにした。そのかわり、昼飯を食べながら「スタートレック」の話をする。今やギンギラにスタトレファンはいないので、こうしてスタトレの話が出来るのはとても楽しい。話が盛り上がって「スタトレグッズを探しに行こう!」ということになり天神へ。インキューブに行ったら、フロアー担当の知り合いに会う。前々からギンギラに協力したいと言ってくれている人で、今日も「ギンギラグッズを作ったら、インキューブで売ってもイイよ」と言ってくれた。(オリジナルグッズはボクも作りたいと思っていて、現在検討中である。)色んな人がギンギラを応援してくれているのが本当に有り難い。スタトレファンの集いは夕方で終了。「また帰ってきたらやろう」と約束して松延君と別れる。夜は来年2月公演の打ち合わせ。もうそろそろ色々なことを具体的にしなければならないのだが・・・結局朝4時まで打ち合わせをするも、結論は出ず。「絶対にイイ作品にしなければ」と気合いが入っているので、そう簡単にOKは出せない。後日、あらためて打ち合わせをすることになった。

2001年10月19日(金) 人を化石みたいに!

近頃ミルメークにハマっている。たまたまコンビニで見つけたのだが、あまりのうれしさに「うわーミルメークだー!」と大声を出して店内の注目を集めてしまった。でも全然恥ずかしくない。だって本当に嬉しかったもんね、大声だって出ます。知らない人のために説明すると、ミルメークとは小学校の給食献立の1つで、牛乳に溶かして飲むココアのようなヤツ。最後に溶け残ったミルメークのザラザラ感を楽しみながら牛乳を飲み干すのが大好きだった。そのミルメークに再会したのだ!速攻買い占めて毎日飲んでいるというわけです。・・・稽古場でこの話をしたら、「ミルメークってなんですか?」と、みんなにキョトンとされた。「えっ、知らないの?・・・だから、ビン牛乳に入れて、混ぜて飲むんだよ」と話したら「大塚さん、いつの話をしているんですか?私たちの世代は牛乳は紙パックですよ。」といわれてしまう。そんなにボクは古いのかと、ちょっとショックを受ける。・・・「誰か、ミルメークを知りませんか?」

2001年10月18日(木) 休む間もなく・・・

岩田屋会の「天神開拓史」が終わり、年内のギンギラの予定は全て終了。ようやく来年の新作に集中する体制に。(ホントは同時進行で新作の準備もするはずだったのだが・・・ちょっと、やばいかな・・・。)「脚本の遅れを取り戻さなければ!」と、今日は1日中、資料文献を読む。もう、ひたすらに読んだ。
アメリカ領事館から「ハロウィーン仮装パーティ」の招待状が来ていたが、先がぜんぜん見えないので、欠席の返事を出す。

2001年10月17日(水) 終わってみれば、楽しいことばかりでした。

「ドキッ!社長大集合、偉い人だらけのギンギラ公演」は「ウムフフフ・・・」という何とも言えない笑い声が響く中続いた。笑いがすべてではないので何とも言えないけど、少なくとも、「笑うシーン」にちゃんと反応が返ってきているので、みんなでホッとする。「ちょっと腰の引けてる」バス軍団のシーンや、例のコガキョのシーンも「頭をたたかれたお客様が怒って席を立つ」なんて事は起きず「ウムフフフ・・・」という笑いで許されていた。さすが「岩田屋会」だけあって、岩田屋に関するシーンの反応が良い。岩田屋(今回はボクが演じていた)が、「地元企業の皆様のおかげで,老舗岩田屋はNHK跡地進出が決定しました。」と言うシーンでは、会場から割れんばかりの拍手が起きて、とても気持ちがよかった。逆に、西鉄関係のキャラを演じていた連中は「なんか、客席が冷たかったよねえ」とボヤいていた。だって、岩田屋会なんだもん、それはしょうがないでしょう・・・。(この岩田屋会での公演の様子も、ギンギラを追いかけているドキュメンタリーのTVカメラで収録しているので、もしかしたら番組の中で登場するかも)夜は大名にある韓国料理の店で打ち上げ。鍋を囲んで、みんなでわいわい騒ぐ。
公演前は、いかに大切なイベントか知ってドキドキしていたが、無事に終わったので本当に良かった。でも、考えてみれば、そんな大切な日に公演を頼まれるなんて、光栄な事だよね。

2001年10月16日(火) えっ!そんなに大切な日だったんですか?(その2)

いよいよイベント開始の時間。会場に人がゾクゾクと入ってきた。その様子を見て「なんか、客席黒くないですか?」と誰かが言った。いつもの公演なら、色とりどりの洋服を着たお客様で客席はカラフルになるのだが、今日の客席は、「スーツに身を包んだ渋い紳士ばかり」。会場は、ほぼ黒一色。(なかには名刺交換をしている人もいる。)ボクも色んなところで公演をやってきたが、こんな真っ黒な客席を見るのははじめてだ。
最初の1時間は社長の挨拶、報告会などが続き、休憩をはさんでいよいよ僕らの出番がやってきた。まずは、9月公演にも登場したブランドシティー、ビブレ、メガバンドールの3人(演じるのは、コガキョ、ヒデさん、立石さん)の前説からスタート。「みなさまーようこそいらっしゃいましたー」そう叫びながら、「決死の覚悟を決めた3人」が客席に切り込んでいった。・・・・一瞬、シーンとなる会場。「うわ、やばっ!」と思った瞬間。「ウムフフフ・・・」という何とも言えない笑い声が会場に響いた!さすが熟年の笑い方は違う。「クスクス」でも「ガハハハ」でもなく「ウムフフフ・・・」だもんね。でも、よかった!とりあえず、笑ってもらえばこっちのモノだ。しかし、安心するのはまだ早い。バス軍団に、「たたく気満々」のコガキョなど、お客さんを巻き込むシーンはまだまだこれから!芝居は、まだ始まったばかりなのだ・・・・つづく

2001年10月15日(月) えっ!そんなに大切な日だったんですか?(その1)

今日は朝7時50分にZサイド前に集合、夢天神ホールへ。夢天神は初めてなのでワクワクしながら準備をしていた。ところが、イベント担当者が客席に貼っていく名札に、「○○株式会社代表取締役△△氏」と書かれていていたので、みんなでビックリ。

客席を見渡す限り、どの名札にも「会長、社長、社長、会長、社長〜」と書かれている!(なかには地元だけじゃなくて、テレビのCMでおなじみの全国的な大企業の名前も!話では東京から、わざわざこの総会のために来るそうだ。)たしかに「偉い方が集まる」とは聞いていたけど、まさか「偉い方だけが集まる」とは夢にも思わなかった。きっと岩田屋の若い社員の方が、観客の大半だと思いこんでいたボクは本当に驚いてしまった。
さらに公演日の今日になってわかったことだが、今日の総会は、会社にとって最も大切な「株主総会」の次に大切な総会なのだそうだ。(くどいようだが、株主総会と言えば会社にとって1番大切なイベントだから・・・つまり、今日の総会は会社にとって「2番目に大切なイベント」と言うことになる。もう、ムチャクチャ大切な日というわけ!)てっきり、岩田屋さんの関係者が集まって「楽しく過ごすイベント」と思っていたボクは、この総会の重要性を知って「うーんと、ギ、ギンギラで本当に・・・いいのか?」と急に不安になってきた。バス軍団役の連中も不安そうに集まってきて「客席に降りるシーンはどうしましょうか?いつもの感じで行くと、この○○株式会社の会長にバスアタックなんですが・・・」と聞いてきた。ボクは「い、いつも通りでいこうよ!遠慮なんかするなよな・・・」とは言ったものの、内心ドキドキだ。「ドキッ!アイドル大集合、水着だらけの水泳大会」ならぬ、「ドキッ!社長大集合、偉い人だらけのギンギラ公演」とは・・・うーん、こんな公演は初めて。果たしてみんな楽しんでくれるんだろうか?

芝居の途中、客席のお客さんをレールに見立てて、手に持った電車で「お客さんの頭をたたきながら」走るシーンがあるのだが、その役のコガキョ(「翼をくださいっ!」でスカイマーク役)は、「社長の頭なんてめったにたたけない、しかも社長がこんなにたくさん!」と一人やる気満々だ。まちがってるぞコガキョ!不安がっているみんなをよそに、目をランランと輝かせているコガキョ。ああ、恐ろしい事にならなければいいが・・・・・つづく

2001年10月14日(日) いよいよ本番です。

いよいよ明日は本番。なんと、岩田屋関係の偉い方が集まる総会で「天神開拓史」を上演する事になっている。(6月のアンコール公演を観てくれた「岩田屋の中牟田社長」が作品を気に入ってくれたのがきっかけで公演が決定!)実は、6月公演の時に中牟田社長のアンケートに何も書かれていなかったので(名前だけ書かれていた)「もしかしたら、怒られるかな・・・」と、ちょっと気になっていたのだが、そんな心配は無用だった。しかし、西鉄といい、岩田屋といい、さすが地元を支えているだけあって懐が深い会社だよねぇ。「怒る」どころか、「面白いからうちでやってくれ」だもんね。岩田屋の総会でギンギラの公演だなんて面白すぎるでしょ?
「果たしてどんな反応がかえってくるのか?」明日の日記をお楽しみに!

2001年10月13日(土) メシも食わずに稽古に熱中していたら・・・

今日の稽古でボクがやらかしてしまった。ラスト、松ちゃんの1番格好いいセリフのシーンの練習中に、ボクのおなかが「グー」と鳴り響いてしまったのだ。もう稽古は台無し。みんなは笑うし、松ちゃんには「ああもう、いまからがいいところなのに!」と責められてしまった。以前この日記で「場のムードをぶちこわす名人」と書かれたグッチは「これで、大塚さんも僕らの仲間入りですね。もちろん、今日の日記には自分の事を書くんでしょうね」と嬉しそう。ハイハイ、ちゃんと書きましたよ。ボクも「場のムードをぶちこわす名人」の仲間入りです。

2001年10月12日(金) 呼ぶのも恥ずかしいあだ名

今ギンギラでビリヤードが流行っている。正確にはボクが一人で騒いでいる。稽古場で「男子はみんな強制的にギンギラビリヤード部の部員」と宣言もした。さらに1番へたなヤツには罰ゲームとして「呼ぶのも恥ずかしいあだ名」をつけることに決定。ちなみにボクが負けると「ズカッチ先輩」と呼ばれることになっている。命名は中村タクジだ。(「翼をくださいっ!」では新幹線のリーダー、ゼロ戦、ロイヤル、佐賀空港を迎えに来る気球などを演じた。公演初日、バス軍団が客席で暴れている時に、思いっきり転んで、客席を驚かせた張本人)。ボクよりビリヤードが上手い中村タクジは、もう勝ち誇ったような顔をしてボクのことを「ズカッチ先輩」と呼ぼうとする。なんとしても、それだけは避けたい。演出のダメ出しの時に「でも、それは違うんじゃないですか?ズカッチ先輩」なんて呼ばれたら、演出としての権威が台無しだ。1番上手いのは、さすがの「松ちゃん」。もう看板さんは何をやっても格好いい。
ところで土田世紀の傑作漫画「編集王」に「ズカッチ先輩」みたいな響きのウソ漫画が出てたような・・・なんだったかな?

2001年10月11日(木) こんな日が毎日続くといいのに・・・

今日は本番前の最後の休みなので、部屋でのんびり過ごす。ずっと見たかった邦画「漂流街」をやっと見る。「カッコよさ、雰囲気優先」の、いい意味で「でたらめな映画」だった。つじつまを考えると「あれ?」となってしまうが、そんなことがぜんぜん気にならない「あっぱれ馬鹿アクション映画」。だって、映画の冒頭、どう見てもアメリカの砂漠なのに平気で「埼玉県」と言う字幕が出るんだもん。(これは日本では派手なアクションシーンが撮れないから、アメリカで思いっきりロケをして、「ここは日本です。」と開き直ったとインタビューで監督が言っていた。)すべては「カッコいい映画」にするための「でたらめ」なのだ。役者もみんないいし、もう言うことなし。あんまり楽しいので続けて2回見た。いやー、ホント気持ちのいい映画でした。そういえば、今日で日記(のようなもの)を始めて1週間。掲示板にも日記へのコメントがあり、読んでもらえてるんだなあと実感できてホッとする。夜は、東京から来たばかりの九州ウォーカー新編集長を囲んで飲み会。「翼をくださいっ!」を観て大感激してくれたそうで、今日は何と、編集長のおごりだった。美味しい和食、ごちそうさまでした。・・・好きな映画を見て、美味いモノを食べる。もう、今日は大満足の1日だった。

2001年10月10日(水) 悪気はないんだろうけど・・・

ウチの稽古場に「場のムードをぶちこわす名人」がいる。ギンギラ小さいモノクラブの「榊ちゃん」がそう。あれは、「翼をくださいっ!」の練習中の出来事だった。「雁の巣ばあさん」役のヒデさんが、目に涙をいっぱい浮かべて、クライマックスの長ゼリフに今まさに入ろうとした瞬間!「ひぇっく、しゅーん!」とまるで「ドリフのカトちゃんかお前は!」と言いたくなるようなクシャミをしやがった。もう、ほめたいくらい絶妙のタイミング。もちろん稽古場は大爆笑。ここからが見せ場という時に邪魔されたヒデさんも、怒りたいんだけど、笑ってしまってたもんね。ところが、今日の稽古場に 「場のムードぶちこわし名人」がもう1人現れた。いつも客演で参加してる坂口裕介(あだ名は「グッチ」)がそう。グッチのやつめ、通し稽古の途中「松ちゃん」演じるソラリアが、さあ決めるぞ!と言う瞬間に「ふぇいっく!」と、何とも間の抜けたしゃっくりをしやがった。それも1度だけじゃなくて何回も。これまた「お前計算してるだろう」と言いたくなるほど絶妙のタイミングで「ふぇいっく!」とくる。そのたびに稽古は中断してみんなで爆笑となった。でも1番おかしかったのは、ラストの悲しいシーンで、床に座ろうとしたヒデさんの足の関節が「パキ!」と鳴って響きわたったこと。その瞬間、悲しさに包まれていたはずの空間がガラガラと崩れて、みんなでズッコケたのでした。

2001年10月09日(火) ちょっと、いい話?

今日は午後から福ビルにある西鉄本社へ。広報室に保存されている古い資料の中に「西鉄軍」に関するモノがないか探させてもらう。この西鉄軍というのは、昭和18年、第二次大戦のさなか西鉄が作ったプロ野球チーム。何と巨人を破って優勝もしている。しかし1年もしないうちに解散させられて選手達は戦地に送られたという「悲劇のチーム」だ。(天神開拓史でも少しだけ登場。)ぼくとしては、何としてもこの「西鉄軍」で芝居を作りたいと思っているのだが、もうぜんぜん資料がないのである。そんなわけで、本社を訪ねたわけだ。今では、何かあれば直接本社の広報課に取材に行くが、初めて本社に行ったときには、もうムチャクチャ緊張した。(だって、その時はボクからの取材ではなく「西鉄からの呼び出し」だったから!!)呼ばれたボクは、ある部屋に通されて、スーツの方々に囲まれた。正直「もうダメだ、絶対に怒られるんだ・・・。」と思ってました。ところが社員の方々は「いつも見に行ってます。おもろいですよねー」と笑顔で話してくれ、その上「今度100円バスを始めますのでギンギラでイベントをやってくれませんか。」ときた!てっきり怒られると思っていた僕は、「さすが天神を支えているだけあって、西鉄は懐の深い会社だなー」とマジで感動してしまった。それ以来、何かわからない事あれば、直接西鉄に取材している。最近は、「ギンギラ太陽’Sの大塚ですが」と西鉄の広報に電話すると「ああ、いつもお世話になっています。」という返事をもらえるようになった。取引先のようで変な感じもするが・・・何はともあれ有り難い事です。

2001年10月08日(月) お芝居について

「観客の側から芝居に関わっている」知り合い2人が家に遊びに来る。夜遅くまで福岡演劇事情について話す。ボクは発信する側なので、受け手側の人と話をするのは、とても楽しい。だって、いつも言うことだけど「芝居は見てもらってこそ」だもんね。ココには書けないような話題もバンバン出て、スゴク盛り上がる。「どうしたら、お客様に来てもらえるのか」と言う話も出た。ボクの周りには「福岡は芝居を見る人口が少ないんだ」と言う人がいるが(はずかしながらボクも昔はそう思っていた。もちろん今は違いますよ!)でも、それって観客が少ないのを観客のせいにしているだけで、何の解決にもなっていないんだよね。・・・ボクは「テレビやビデオ、東京から来るお芝居などに負けない魅力があれば、お客様は来てくれる」と信じている。これって、すごく当たり前のことだけど、この「自分たちにしかない魅力を持つ」と言う当たり前の作業が、じつは1番大変だったりする。・・・「よーし、新作、ガンバルぞー!」と、今日のところは宣言するだけで寝ます。(脚本進んでる?
なんて、野暮は言いこなしですよ。)

2001年10月07日(日) ワハハ本舗の公演で、ギンギラの名がでたらしい。

稽古場で、ワハハ本舗の話になった。嘉穂劇場で公演中の「だいこんの花道」を昼間に観てきた「榊ちゃん」(前回は国際ターミナルを演じていた。ギンギラ小さいモノクラブの一員でもある。)の話によると、芝居の途中、久本雅美がいうセリフに「お前は、福岡のギンギラ太陽’Sで修行してこい!」というのがあったそうだ。ご当地ネタとして「福岡の劇団と言えばギンギラ」と選んでくれたのがちょっと嬉しい。(まあ、選んだ方はそこまで考えてないかもしれないけど・・・)芝居も、とても面白かったとのこと。ギンギラも、いつか嘉穂劇場でやってみたいな。実は今考えている来年の新シリーズは、この嘉穂劇場でやるのがピッタリなんだけど・・・・この話はまだ秘密なので、きょうはここまで。

2001年10月06日(土) 劇団轍(わだち)の「四谷怪談」

今日は劇団轍(わだち)の「四谷怪談」を見に行った。感想をたくさん書きたいのだが、実はぜんぜん芝居に集中できなかった。信じられないことにボクの横に座っていた人がずっとカメラで写真を撮っていたのである。本番中にだよ!せっかくいいシーンになっても(と言うかいいシ−ンほど)横から「パシャ、パシャ」聞こえてきて、もう台無しだった。このカメラ君は本当にひどい人だった。慌てて係りの人が「写真撮影をやめるように」言いに来たら、その場だけやめるフリをして、係りの人がいなくなるとまた撮影を始めるのである。何とこのカメラ君は最後の最後ラストシ−んまで「パシャ、パシャ」。そりゃもう僕は怒りましたよ。ホントに殴ってやりたいぐらいでした。だって、この芝居を見るのを楽しみにしてたのに、2時間ずっと邪魔されたんだよ!自分の公演だったら、もう大暴れしてます。・・・でも今日はただのお客ですから、「撮っちゃダメって言われたら、やめようよ」と声を掛けるだけにした。なんか嫌な気分で外に出たら、後ろから女の子に呼び止められた。振り返った僕にその子は「私、写真を撮ってた人の前の席で見てたんです。もう悔しくて悔しくて・・・・でも私言えなかったから、注意してくれてありがとうございました」と言ってお辞儀をして去っていった。その後ろ姿を見てたら、なんだかまた悔しくなってきてね。やっぱり周りの人もみんな怒ってたんだなと思うと、「ああ、こんなことなら、最後じゃなくて、途中で外に引っぱり出してやれば良かった」と反省してしまった。あとから聞いてびっくりしたのだが、何とこのカメラ君は芝居関係の人らしい。と言うことは確信犯だった訳か・・・本当に残念な出来事でした。気分転換にソラリアステージの地下にある喫茶店へ。そこでばったり西鉄ホールのスタッフ軍団に会う。さっそくカメラ君の話をしたら、「西鉄ホールの女帝プロデューサー」中村さんが「昨日、北九州で見た芝居では本番中にフラッシュたいて撮ってたわよ。もう会場のお客さんが全員振り返ったんだから・・・」と話してくれた。夜は稽古へ。練習中もこの話で持ちきりだった。ふと気がつくと「松ちゃん」が来ていない。「どうしたんだろうねえ」といっているウチに練習終了。玉屋さんこと「杉山英美」が「松ちゃんからメールが来てます。」と言って声を出して読んでくれた。「昼に、油断して寝たら、今起きました。すみません、マツキヨ」・・・「メールって、都合悪いときに便利だよねー。」と、みんなで感心して解散した。

2001年10月05日(金) 大好きな宇宙戦艦ヤマトの話

やめると言っておきながら、今日もヤマトの話。初放送は日曜の夜7時半からだった。番組は、いきなり地球艦隊が全滅しそうなところから始まる。登場するメカも全部カッコよかったし、主題歌も子供心にぐっと来た。ボクは第1話からハマってしまった。「これはスゲー漫画が始まったぞ。毎週見なければ!」と、夜布団に入ってからもなかなか寝付けなかったほど。翌日学校では、さっそく男子の間でこの新しい漫画のことが話題になっていて「来週どうなるっちゃろうか?絶対見らんといかんばい。」とクラス中大騒ぎになっていた。
・・・ところがである、困ったことにウチはボクだけじゃなく妹がいる。しかも両親と妹はヤマトと同じ時間に別の局で放送中の「アルプスの少女ハイジ」が大好き。ボクが第1話を見ることが出来たのは、その日がたまたまボーリング大会(当時ブー
ムだった)で、両親と妹がいなかったからだった。一人で留守番をしていたおかげで運良く第1話を見ることが出来たのだ。翌週の日曜日、どっちを見るかで家族会議になった。「ヤマトが見たい」とボクは訴えたが、3対1で負けているボクにチャンネルの決定権があるはずもなく、「一週ごとに交互に見る」と言う条件に持ち込むのがやっとだった。「じゃあ、ムネトは先週ヤマトを見
たんだから、今日はハイジね」と意見がまとまった家族の前で、ついにボクは泣きだした。泣くしかなかった。もう、わんわん泣いた。あきれている両親に言った台詞は今でも覚えている。「だって、だって、アルムの山には何にも起きないやん!一回ぐ
らい見なくたってアルプスは平和やん!でも、ヤマトは、ヤマトは、いつガミラス軍に負けるかもしれんのやもん!一回でも見逃したら地球がなくなるかもしれんのやもん!!うー!」
そう泣きながら何度も何度も両親に訴えた。・・・・ああ恥ずかしい。きょうはここまで