大塚ムネトの超不定期日記(2002年2月) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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公演が終わったあとはいつも 「ああ、1ヶ月ぐらい何もせずにダメ人間として過ごしたいなあ・・・」と思うんだけど、まあ、そんなことが許されるはずもなく、すでに、いくつかの打ち合わせが始まってしまった。とりあえず、公演中のまんまで散らかっていた部屋を片づけて、ぼちぼち仕事(あるイベントの企画書作り)を始める。・・・が、すぐに嫌になって天神へ。 久々に本屋巡りをして、「ハイパーホビー」と「フィギユア王」を買ってジャンジャンへ。(行きつけのエスニックレストラン。いつもギンギラの打ち上げはここでしている。) エッグカリーと、セサミナン、ティッカ(大好物の骨なしチキン)を注文。料理が来るまで、カウンターのいつもの席で買ってきた本を眺める。ママさんから「大塚さん、本を眺めながら口がポカンと開いてますよ。何に見とれてるんですか?」と聞かれたので、 「凄いんですよ、今度発売になる合体ロボットが、なんと電動で勝手に合体するんですよ!ほらこのページに・・・」と、思わず熱く語ってしまった。ママさんの顔が「いい年して、もう・・・」という表情なのに気づいたのは、すっかり語り終わったあとだった。いかんいかん、TPOをわきまえた「節度あるオタク」にならなければ・・・。 食事のあとはチャイを飲みつつ、パパさん、ママさんと今回の公演について話す。結局深夜の1時過ぎまで店でダラダラと過ごしてしまった。 この店は本当に居心地がいいなあ。 |
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毎日新聞の記者から、この岩田屋の件をどう思うかとのコメントを求められる。ボクのコメントを今日の夕刊に載せるんだそうだ。ボクが「NHK跡地に移転が決まった時点で、もう大丈夫と思っていたので驚きました。」と話すと、「どうしてか?」と質問されたので、その記者に岩田屋の歴史を説明した。 そもそも岩田屋呉服店は1754年、黒田藩の城下町福岡に誕生した。明治維新で武家社会が崩壊すると「博多に移転」、九州でも有数の呉服店へと成長していく。そして、昭和11年に「天神に移転」、百貨店を開業。(この辺のことは「天神開拓史」の中で詳しく描いているが、当時の博多っ子は、岩田屋の天神移転を自殺行為だと噂していた。)しかし、「岩田屋の天神移転」がきっかけとなって、天神が栄えることになる。 この岩田屋の歴史を見ればわかるように、岩田屋はその誕生当初から、時代の変化を「大胆な移転」で乗り切ってきたのだ。そして、移転のあとは、必ず劇的な成功を収めている。 ・・・そんなわけで、「今回も大丈夫」と、ボクは思っていたのでした。 |
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1日2回公演だったので、あっという間に土日が終わり気がつくともう最終日。いつもだったら昼間に映画大会を会場でやるんだけど、残念ながら、今回はプロジェクターを設置していないので、映画大会は無しだった。6月に上演する「天神開拓史」では、映像を使うシーンもあるので、6月こそは、昼間、誰もいないホールを貸し切って映画大会を開催するぞ!(ウチからプロジェクターを持ってきて無理矢理やってもよかったんだけど、最終日にわざわざ荷物を増やすとバラシが大変なので今回はあきらめました。) 今日は4時に小屋入りだったのだが、ボクがつく頃にはもうみんな揃っていた。それぞれ、今日が最後なのを惜しみながら過ごしているようだ。 仕込みから入れてたった8日間だったけど、自分の精一杯の力を出した晴れ舞台なので、今日の公演が終わって壊すと思うと、切なくてしょうがない。ボクも、舞台の上にゴロリと横になって、今回のことをしみじみと思い出しながらしばらくじっとしていた。でも、開演時間が近づくと、さすがに「切ない気持ち」より、「よっしゃー、最後燃え尽きるぞー!」という気合いの方が強くなってくる。「最後だからといって、調子に乗りすぎず、練習で積み重ねてきた演技をしっかりやるように」と全員に声をかけて本番に望んだ。おかげさまで今日も会場は満員。演じていて、とても気持ちがよかった。 そして、公演が終わったあとはいよいよ打ち上げ! 今回はスタッフを含め総勢50人の大所帯だったので、いつものジャンジャンでは入りきれず、今泉の居酒屋を貸し切っての打ち上げ。初めて観客動員が3000人を越えたこともあって、もうみんなテンションが高い高い(実はボクが1番高かったんだけど・・・)いくら飲んでも、もの足りず結局朝まで飲んでいた。最後に残ったメンツで朝方2時間ほどメディアカフェで仮眠して、朝9時に西鉄ホールへ。半分寝かぶりながら、残っていた荷物の片づけをする。 家に帰ったのは午後2時すぎ、そのまま倒れるように眠りにつきました。 |
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まずは、劇団轍の河原君 なんと河原君は、「福岡電話物語」の本番中、満員の観客を前に舞台上で思いっきり「ブッ!」とオナラをぶっこいたそうです。(終わったあと、同じシーンに出演していた役者から「よりにもよって、クライマックスシーンでオナラとは!」と怒られていました。) たしかに力が入るシーンなので、わからないでもないけど・・・・しかし本番中にオナラとは・・・・前の方に座っていたお客さんには音が聞こえていたんじゃないかな・・・。 本人が言うには、オナラが出た瞬間、ヤバイと思って「おりゃー」と声を出してごまかしたとのことですが・・・(「全然、隠せてないよ、しっかり聞こえてた!」と、他の役者は言ってます。) もう1人はギンギラの杉山英美 外食王オムレットのなかで「ある国の女王役」で登場する英さん。昨日舞台上で顔を見てビックリ!「まるで毛が生えてそうな」大きなホクロをほっぺに書いているじゃないですか!! いきなり本番の舞台で、「ぶっさいくなホクロ」を勝手に書いて登場したので、他の役者達が笑うのをこらえるので大変でした。(もちろんボクも吹き出しそうになりました。ほんと、我が目を疑うくらいでっかいホクロでした。) あとで理由を聞いたら、「マリリンモンローのようなセクシーボクロ」を書こうとしたのにうまくいかなくて、気がついたらでかくなってしまったんだって・・・。 「大きさも変だけど、だいたい、モンローのホクロは口の下ですよ・・・」と指摘されて、シュンとしていました。 いやはや、公演中には色んな事が起こります・・・。 |
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只今午前11時。今日の集合時間は3時なので、家でゆっくり、この日記を書いています。 ちょっと大げさかもしれないけど、今は、自分の人生で1番楽しい時間です。苦しみ抜いて準備をしてきた作品が完成して、しかもお客さんに喜んでもらえている。これほど幸せなことはありません。 今日を入れて4日間、毎日劇場に通う生活が続きます。 この「劇場に通う」っていうのもね、スゴク嬉しいんですよ。「ああ、オレの仕事は劇場でお客様に喜んでもらうことだ」なんて、たった4日間だけなんだけど、「オレは役者なんだ」って言うのを、お客様を前にして実感できるんです。 僕らが一生懸命作り上げてきた作品をたくさんのお客様が観てくれる。 これほど幸せなことはありません。 今日の公演も頑張ります。 |
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昨日の公演中に起きた、「ギンギラ史上、初の出来事」を受けて、「今日はお互いのかぶりモノを確認してから舞台に出ようね」ということになった。 なにが起きたかは昨日見てくれたお客さんと僕たちだけの秘密。(まあ、ネタバレを見るとすぐにわかっちゃうけど・・・あと、取材カメラもあったので、たぶん放送の時にもわかるかな・・・) そんなハプニングもありましたが、無事初日を迎えることが出来ました。今回僕らが挑戦した「新しいこと」も、どうやらお客様には喜んでもらえたようでホッとしています。 今日は2回目。「初日を乗り切った安心感」でしくじることがよくあるので、昨日に増して気合いを入れて頑張ります。 |
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今日はいよいよ初日。この1年近くずっとギンギラに密着してきたRKBのドキュメンタリースタッフからも「いよいよですね」とインタビューを受ける。しかしドキュメンタリーってすごいね。だって、本当に、ずっと密着取材だったもんね。ボクのウチにも何度来たことか・・・真剣にギンギラを取材してくれている姿には感動してしまった。(この取材の模様はいよいよ3月に放送だって!あまりにも赤裸々な取材だったので、逆に見るのが怖いくらいだ・・・) 3時からの「ゲネプロ」(スタッフとキャストが確認するために、観客抜きで本番通りに上演をすること。)にむけて、音響照明のキッカケ合わせ。 限られた準備時間の中で、とにかく作品イメージに1番近い明かり、音のタイミングを探る作業が続く。ホンのちょっとでも、タイミングがずれてしまうと、全てが台無しになってしまうので、キッカケあわせは1番神経を集中する時間だ。 そんな作業の真っ最中に、全然今回の公演に関係ない「某劇団」と「某個人」の、無神経な行動に、ついご機嫌斜めになってしまった。この「不愉快な2つの事件」で、一気に集中力が落ち、しばらく落ち込む。まったく公演直前だってのに・・・どうしてもうちょっと相手のことが思いやれないんだろうか・・・ 何とか福岡でお客を集めたい気持ちは分かるんだけどね・・・ そんなへこみ気分もゲネが終わって本番が近づいてくると、どこかへ吹っ飛んでしまった。さあいよいよ本番!1年近くずっと準備して来た結果が間もなくでます。 「果たして、お客様は喜んでくれるだろうか?」 |
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新聞の訃報で、テアトルハカタの野尻先生が亡くなったのを知った。 「今度稽古場に遊びにいらっしゃい」 高校生のころ、福岡市内の演劇部が集まる夏合宿で、野尻先生が優しく笑いながら僕ら演劇部に言ってくれたのを覚えている。 当時の僕らは、演劇のことなんかより女の子にモテたいだけの「超バカモノ演劇部」だった。かなり他の学校に迷惑をかけて先生達にも煙たがられていたんだけど、野尻先生だけは笑ってくれていた。 そのすぐ後にあった地区大会で、(今思い出しても恥ずかしくなるような)オリジナル劇を上演したときも、「けちょんけちょんに」批判する審査員が続く中で、審査員のひとりだった野尻先生だけが僕らをほめてくれた。何とかいいところを見つけてほめようとしてくれたのが、いたいほど伝わってきて、逆に当時の僕らは素直にありがとうといえなかった。(ほんとバカモノだよね。)その地区大会の時も、 「稽古場に遊びに来なさい、芝居は楽しいよ・・・」 野尻先生は、そう声をかけてくれたんだよなー・・・。結局1度も顔を出さないまま、20年がたってしまった。ちゃんとありがとうございましたって言えなかっった自分が、なさけない。 野尻先生が、「演じることは面白いよ」と言ってくれたことを、ボクは一生忘れません。ご冥福をお祈りします。 |